サンフレッチェ広島のサントリーシリーズ優勝を報じる2014年6月12日付スポニチ一面のバクスター監督胴上げ写真の一部、左上でジャンプしているのは森保監督の若かりし頃の姿…
名古屋グランパスは1月4日、J1・川崎フロンターレで指揮を執ってきた風間八宏氏の監督就任を発表した。
風間氏は静岡県清水市(現清水区)出身。筑波大卒業後、ドイツに渡りプロ選手として活躍した。その行動力と統率力を買われて当時、マツダサッカークラブの総監督を務めていた今西和男サンフレッチェ広島元GMが広島に誘った。
Jリーグ誕生と同時にスタートしたサンフレッチェ広島の初代キャプテンで、1993年にはJリーグ史上日本人初のゴールを決めた人物でもある。翌1995年のサントリーシリーズ(前期)優勝の原動力のひとり。
「明日どうなるか分からないのが人生」がモットーの風間氏は1995年、サンフレッチェ広島を退団。再びドイツに渡り、1年後に現役を引退した。
1997年、桐蔭横浜大学サッカー部監督に就任。2006年、日本サッカー協会特任理事に就任。2008年7月からは同理事に名を連ね、フジテレビ「すぽると」の解説でも知られた。
2008年から2012年春までは母校、筑波大学で監督を務めると同時に准教授として教壇にも立った。
その後2012年4月、川崎フロンターレ監督にシーズン途中で就任した。サンフレッチェ広島時代に中盤を形成した森保一氏がサンフレッチェ広島監督に就任したのもこの年で(就任会見は2011年12月)奇しくも”同時スタート”となった。
そして昨年10月、風間監督が川崎フロンターレとの契約を更新しないことが発表され、名古屋グランパスへの移籍が既定路線となる中、1月1日の天皇杯決勝で鹿島アントラーズに敗れ川崎フロンターレはこの5シーズンを「無冠」で終えることになった。
2013年12月7日、J1最終節はたいへんなことになっていた。
前節までの順位は…
1位・横浜F・マリノス 勝ち点62、得失点差+19で2位以上がすでに確定
2位・サンフレッチェ広島 勝ち点60、得失点差+20
3位・鹿島アントラーズ 勝ち点59、得失点差+10
4位・浦和レッズ、5位・川崎フロンターレ、6位・セレッソ大阪…
3位以内がACL出場圏内で、横浜F・マリノスは勝てば優勝、サンフレッチェ広島は勝って横浜F・マリノスが引き分け以下で優勝、鹿島アントラーズはほとんど不可能な大量得点が優勝の最低条件となった。また川崎フロンターレは勝てば3位圏内という可能性を残していた。
最終節の対戦カードは…
川崎フロンターレ対横浜F・マリノス
鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島
浦和レッズ対セレッソ大阪
※前のクラブのホームゲーム
しかもサンフレッチェ広島に対してこの時、広島市の松井市長が「2位でいい」と発言し、広島中を、いや日本中を揺るがせる事態となっていた。「3度優勝したらスタジアムを考える」(注・3年連続ではない)としていた松井市長がサンフレッチェ広島の快進撃に思わず本音ともとれる思いを漏らしたのである。
アウェーで戦うサンフレッチェ広島を応援するためパブリックビューイングが用意された旧広島市民球場跡地はサポーターで埋め尽くされた。松井市長は広島県警により厳重に警備された旧広島市民球場跡地の一角で応援した。
全会場、同時にキックオフ…
前半35分、サンフレッチェ広島が先制点を挙げた。得失点差でも横浜F・マリノスを抜いていたため首位に浮上した。
後半9分、川崎フロンターレが先制、横浜F・マリノスは一気に窮地に追い込まれた。そして後半35分、サンフレッチェ広島が追加点。そのままタイムアップとなり、サンフレッチェ広島の逆転優勝と川崎フロンターレの逆転3位が決まった。森保監督、風間監督の見事な連携プレーだった。
日本サッカー協会強化委員会委員などを経て現在は日本サッカー協会会長を務める田嶋幸三氏もやはり筑波大学出身で今西和男サンフレッチェ広島元GMが日本サッカー協会で活躍した当時、今西氏のもとで働いた。田嶋氏と風間監督には太いパイプがあると考えていい。
その風間監督とともに将来の日本代表監督候補と言われた森保監督はサンフレッチェ広島との契約を今回2年延長した。
風間監督は、サンフレッチェ広島から移籍の佐藤寿人らの力を最大限に引き出し、名古屋グランパスというJリーグ屈指の巨大クラブを1年でJ1に引き上げる手腕が問われる。
森保監督も屈辱の昨季をバネにして「4つ目のタイトル獲得に向け」新たな気持ちで新年を迎えている。
広島新サッカースタジアム取材班