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2018年10月29日
編集部

サンフレッチェ広島・森崎和幸、引退会見で「生まれ変わったとしても、またサンフレッチェでやりたい思いが強いです」

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森崎和幸
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引退会見に臨んだサンフレッチェ広島・森崎和幸(トップ画像)

今季限りでの引退を発表したサンフレッチェ広島のMF森崎和幸選手が10月29日、広島市中区のホテルで引退会見を行った。

森崎和幸選手は1981年5月9日生まれで広島市安芸区出身。Jリーグ誕生時にその前哨戦としてヤマザキナビスコカップが開催されたのは1992年。同選手が小学生の時、Jリーグが華やかにスタートして、その後のJリーグの歴史、”オリジナル10”と言われるサンフレッチェ広島のクラブ史は、そのまま同選手のサッカー人生に重なった。

サンフレッチェ広島F.Cユース時代からカウントすれば22年に及ぶ”現役生活”、その間、サッカー王国として知られる”広島を懸命に駆け抜けてきた”その道を振り返った時、何が見でたのか? 会見の場で聞いた。

森崎和幸選手の話

広島で生まれて、広島で育ててもらったので、地元のサンフレッチェ広島に入って活躍したいなと小さなころから思っていました。その道をクラブが作ってくれたので、僕はその道をただ歩くだけだったかなと…

その中で、自分のせいで、脇に逸れたり迷ったりしたことはありましたけど、最後にこうやってその道に戻ってこれて、ほんとに良かったなと思います。

生まれ変わったとしても、またサンフレッチェでやりたい思いが強いです。

僕がサンフレッチェの歴史を作ったのではなくて、先輩方がほんとに苦しい時期を乗り越えてくれて、繋いできてくれたからこそ僕もしっかりやらないといけないな、と思っていましたし、それを今度は後輩たちに受け継いでいってもらいたいなと思います。

 

森崎和幸選手の代表者質問での話

―引退を決意した理由は。

ひとつは、サンフレッチェの選手としてJ1でやっていく力がなくなったのと、今年だけじゃなく過去を振り返ってもチームに迷惑をかけていたので、そういった思いもありますし、心身ともに疲れたというのが正直な気持ちです。

―決断の時期は、またそのあとは。

今年、やっぱり休んでからそのことばかり考えてましたし、今年はずっと考えている中で、少し前に足立強化部長と話をして、自分の中で決断しました。苦しかったですけど、周りの人がほんとに助けてくれましたし、チームに戻ってからはチームメートとできるだけサッカーを楽しみながら、やれればと思ってきょうを迎えました。

―シーズン残り4試合というタイミングでの会見となりました。

いろんなことを考え、チームが今、優勝争いをしている中で苦しんでますし、僕の決断がいいきっかけになればという思いもありました。また、一番の思いはこれまで僕を応援してくれていたサポーターのために、早目に決断することで試合を観に来てくれるかなというのもありますし、練習場に来てくれる方もいるはずなのでそれが大きな理由です。

(引退の決断については家族にも)報告はしましたが、相談はしませんでした。浩司とは休んでいる時に、春ぐらいだったと思いますが復帰のメドも立っていなかったですし、ちょっと限界かなという話をしましたね。

―浩司さんが2年前に引退してからの時間はどうでしたか。

小学校からずっと一緒にやってきましたし、先に浩司が引退して浩司のぶんまでという思いもありましたし、今まで一緒にサッカーしてきたぶん、自分ひとりでも何とか活躍したいなと。もう少し頑張りたかったのですが、結果的にはひとりではなかなかできなかったかなと…

―プロとしてどんな19年間でしたか。

過ぎてしまえばやっぱり速かったなという思いもありますし、ここ数年はチームの成績も比較的いいですけど、思い出すのは入団した時はずっと10位以下でしたし、そこからよくここまでチームがこれたなと。それはサンフレッチェにかかわるすべての人の力だと思います。

―3度のリーグ優勝での思い出は。

一番記憶に残っているのはやっぱり初優勝のセレッソ大阪戦です。たくさんの方に来ていただきスタジアムの雰囲気も素晴らしかったですし、試合が終わって優勝が決まってたくさんの方が喜んでくれていましたし、嬉し涙も流してくれていたのでほんとに今まで頑張って良かったなと思いました。

二回もクラブを降格させてしまってそれからはサポーターに対して信頼を取り戻したいなっていう一新でやってきましたし、何とか一度目の優勝で少しでも取り戻せたかなという思いになれたので、それは良かったです。でも終わってみて、ほんとに全部信頼を取り戻せたかというのは分からないのですけど、でも一緒に喜べたっていうのは僕にとっては宝物になりましたね。

―サンフレッチェというチームはずっと見てこられて、どういうふうに強くなったでしょうか。

やっぱり優勝してみないと分からないことがたくさんあって、初優勝した時にはもう一度、味わいたいなと思いましたし、個人としてもチームとしてもそれからはさらに貪欲に勝利を目指すようになったのでほんとにいい経験になりました。だからこそ、今シーズンまだ優勝を経験したことのない選手に、それを味わってもらいたいので、一緒に最後まで戦いたいなと思います。

―そういう中で誇れるものは何ですか。

ユースからこのクラブでやってこれたことが僕の中では誇れるものです。トップに上がってからはこのクラブで引退したいと思っていましたし、それがきょう実現できて、こういう場を設けていただいてここで話せることがほんとに良かったなと思います。

僕にとって(サンフレッチェ広島は)人生のすべてでしたし、僕の命と同じぐらい価値のあるものだと思っています。

―ここまで頑張れた原動力は。

やっぱりサポーターと家族の存在が大きかったと思います。家族が一番、僕の近くにいて何があったかずっと見てくれていました。その中でいろんなことをサポートしてくれて僕がサッカーをできる環境を常に作ってくれていたので感謝しています。

サポーターは特に苦しい時、僕のそばにいて助けてくれて、支えてくれてその存在がなければここまで長くできていなかったのでほんとに感謝しています。

(チームメートにも)今年だけじゃなく、僕が休んで戻ってきたらいつも優しく接してくれました。年齢を重ねてからは本当は僕が支えないといけない立場だったんですけど、いつも支えてくれたんでチームメートがいなければサッカーを続けられなかったのでほんとにありがとうと言いたいです。

―残り4試合に向けて。

チームが優勝争いをして最後まで痺れる戦いができますし、その中で僕も選手として最後まで勝負できる環境を作ってくれたことは本当にありがたいですし…だからこそ、もう引退は決まったので一日一日、悔いのないように過ごしたいですね。僕も最後はピッチに立てるかどうか分からないですけど、ピッチに立てたとしたら…完全燃焼したいなと思います。

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