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2014年09月02日
編集部

前田智徳”最強伝説”~2012年9月27日引退会見から1年~#2

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旧市民球場スイングルーム
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旧広島市民球場スイングルーム

 

プロ2年目の背番号51は寡黙なままでも強烈なインパクトを周囲に与え続けていた。アレン、山崎隆造、西田真二、音重鎮…。27歳の音以外、外野の主力はみな30代。「あいさつしないから先輩に一発やられた」とか「前田のバットがいつの間にかなくなっていた」というような話まで耳にした。ただ前田本人が黙っていたから真偽のほどは定かでなかった。

 

前田はそのあともあまりしゃべらず、松井の鼻歌だけが車内に響いた。ふと気がつくと車はもう広島市街地を駆け抜け三篠寮のすぐそばまで来ていた。

 

 

それから数日後、報道陣が広島市民球場の狭い一室に集められた。神妙な面持ちで報道陣を見回したあと話始めた大下剛史ヘッドコーチの声が時折震えた。4月に登録を抹消された津田恒実が水頭症のため、広島市内の病院に入院したのだという。

 

「ダブルストッパー構想」を軸にV奪回を掲げる山本カープは路線変更を強いられた。「一緒に戦えない津田のためにも…」心をひとつにしたナインと首脳陣は、大野豊を守護神に据えるなど、投手力を前面に押し出して5月11日には首位に浮上した。

 

この試合で先制適時打したのは3年目の江藤智だった。開幕から七番サードに固定されて、4月だけでチーム最多の4ホーマーを放った。同じく一番センターを打つ前田との若ゴイコンビに注目が集まっていた。

 

チームは1カ月後に首位から転落したが、その3か月後の9月10日には再び首位に返り咲き、そのまま5年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた。広島市民球場であったビールかけの中心には若きチームリーダー、野村謙二郎がいた。3年後にアジア大会開催を控える広島の街は活気に溢れ、カープV6の喜びにいっそう沸いた。

 

 

足の指先が痛くなるほどの冷え込みになってきた。西武球場に隣接するレストランでは担々麺などの温かいメニューがよく出ていた。1991年10月27日、3勝3敗で迎えた西武との日本シリーズ第7戦。グラウンドではすでに西武の練習が始まっていた。

 

オレステス・デストラーデひとりでも破壊力抜群…。しかし秋山幸二、そして清原和博とあとで打ちに出てくる選手ほどそのスイング軌道が大きく見えた。巨人を倒し前年度日本一になった森西武に「逆王手」をかけられた山本カープは、この日も前田を七番センターに据えるオーダーでこの大一番に臨んだ。

 

前田は日本シリーズ6戦すべてにフルイニング出場していたが、シリーズ通算打率は1割2分5厘に止まっていた。山本浩二監督と大下ヘッドはもう最初から腹を括っていたのだろう。ただ、レギュラーシーズンで打率2割7分1厘を残し、ゴールデングラブ賞にも選ばれた20歳の若武者にとっては、もうこれ以上ないほどの重圧と試練だったに違いない。

(つづく)

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