画像は4月23日に広島市内であった「サッカー日本代表」広島からエールを送る会(世話人 公益財団法人広島県サッカー協会 会長 宗政潤一郎)で激励を受ける森保一監督
ひろスポ!取材班は森保一監督の背中を1993年のJリーグ開幕当初から見てきた。
同年秋、サッカー日本代表の飛躍の原点でもあるドーハの悲劇も現地で、同じピッチで見届けた。
W杯アメリカ大会切符まであと数秒…そのラストプレーで森保一監督の頭上を同点ゴールになるクロスが上がっていった。今でも、何度でもスロー再生されるあのシーン…
以来、森保一監督はホイッスルが鳴るまで積極性を決して失うことのない、そんなメンタルを自身とチームに植え付けてきた。「最強」との呼び名が高い、今の26名についてもそうだ。
サンフレッチェ広島の監督として4年で3度、Jの頂点を極めたあと、森保一監督は当時暗礁に乗り上げていた広島新サッカースタジアム構想(現在のエディオンピースウイング広島)の推進にも汗を流していた。
そのころいろいろな話を聞く中で、2016年のある日、「僕にも野心がある」とそう言った。浅野拓磨らの居残り練習をチェックしたあとの、エディオンスタジアム広島(当時)での話だ。
同年、秋。サンフレッチェ広島は年間6位、2ndステージ10位に終わった。その頃、新スタジアム建設候補地として絞り込まれた「中央公園」に隣接する住民からは巨大施設建設を不安視する声が上がり、事態はますます混迷の度を深めていた。
その1年後、サンフレッチェ広島はJ2降格の危機に見舞われ、7月4日にはクラブ側から森保一監督の退任が発表された。だが、退任会見なし。事実上の解任だった。
では次はどうするのか?
何度かメールでやりとりする中には「東京で就職活動中です」というのもあった。
ほどなくして広島の関係者が日本協会に「監督就任」を働きかけ、五輪代表監督話が報じられるようになると、森保一監督はメディアの前から姿を消した。「前々から行ってみたかった」という欧州サッカーなどを自身の目で見て歩くためだった。もちろ自腹だ。
帰国後のその第一声は「各国を回って感じたのは改めて日本のすばらしさ、日本人の良さを思い知らされました」だった。当時はまだ「大和魂」とは言ってはいなかったが、やがてこの3文字に「三苫の1ミリ」など日本サッカーの目指すべきスタイルが凝縮されるようになった。
ひろスポ!では、会見なしに森保一監督が広島を後にすることになった際、その無念さを当時の記事に反映させようと以下の記事をアップした。解任から3週間後のことだった。
森保一氏、中国新聞に思い語る、「最善尽くした悔いなし」の見出し、広島スポーツ100年を代表する指揮官の未来は… | 【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア
上記記事の結びは、次のようになっている。
<今夏、高校野球広島大会は99回目を迎えているが、大正時代、昭和初期から「 スポーツ王国」として国内はもとより、世界と渡り合ってきた広島スポーツ界を見渡しても、森保氏ほどの傑出した指揮官は、そう多くは存在しないのである。>
記事を読んだのだろう。森保一監督は「あんなに持ち上げてもらってありがとうございます。僕はそんな人間じゃないですよ」と苦笑いだった。
「でも野心はあるでしょ?」と返したかったが、それはしなかった。
1993年秋のドーハの悲劇は、森保一監督が西野ジャパンの補佐役として挑んだ2018年W杯ロシア大会6月のロストフの14秒を経て、2022年のW杯カタール大会でのドイツ、スパイン粉砕へと日本サッカーの歴史を紡いでいった。
森保一監督がフル代表監督に就任したのはロシア後の2018年7月26日。サンフレッチェ広島に別れを告げてわずか1年後に、森保一監督の中にあった「広島魂」に「日本人の心」が融合した。以来8年が経過したことになる。
森保一監督の人生に大きな影響を与えた最初のカタール・ドーハからだと、さらに長い年月を経て、あの時、その指の間からこぼれ落ちたアメリカなどを舞台にして「最高の景色」を目指すこととなった。
その初戦、オランダ戦に向けての現地アメリカ・ダラスでの前日監督会見も終えた。
4年前、世界の目は日本と当たったドイツやスペインの方に注がれていた。日本は「後半勝負」で堂安律などの交代カードを有効に使った。サンフレッチェ広島時代に浅野拓磨カードを勝負手に近い、そうした戦術に磨きをかけてきた。
だが、今大会ではもう相手は油断してくれない。
だから前日会見の森保一監督は「ベストメンバー」の26人で「一戦一戦突き進んでいきたい」「相手にとって嫌がられることをしていく」と話した。仕掛ければ逆にやられる可能性も高くなる。この4年間で強化してきた「個の能力」を融合させ化学変化を起こす「大和魂」の真価が問われる。
世界18位の日本は17時間後、世界8位のオランダと勝負する。
エディオンピースウイング広島以前のサンフレッチェ広島は強化費に乏しく、森保一監督は故障者続出でも現実と向き合い「今いる者で戦う」姿勢を貫いた。
逆に今回、2度めのW杯を迎えるにあたってはメンバー89人を招集した。
ことあるごとに森保一監督が口にする「共闘お願いします」の精神は26人の最終メンバーと日本サッカーに関わる全ての人を指す。
「多くの人たちによって築かれた歴史」の中で新たなページに手をかける。それがポイチの流儀であり、広島の空から今西和男さんもその姿を見守っている。
(日本時間+2026年6月14日正午、ひろスポ!広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
