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2017年12月27日
編集部

ナイキ仕込みのマーケティング、ブランド戦略で県内外に紫の新風を!(Ⅲ)サンフレッチェ広島の山本拓也新社長に白羽の矢が立った訳

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山本拓也社長
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会見のあとサンフレッチェ広島の久保允誉会長(右)とガッチリ握手する山本拓也社長(トップ画像)

 

12月25日、広島市内のホテルであった”クリスマス就任会見”でサンフレッチェ広島の山本拓也社長社長はリーガ・エスパニョーラの強豪、アスレティック・ビルバオをモデルケースとして掲げた。

そんな話をする関係者はこれまで広島にはいなかった。(ように思う)

今回の会見が開かれるまで、山本拓也社長のことは報道で一部、情報が流されただけ。なぜ、”いきなりナイキジャパンのしかも広島担当者だった人物なのか?”については具体的な話が見えていなかった(ひろスポ!もそうだが…)。

会見は代表者による質疑応答のあと自由に質問する時間がとられた。そこでイの一番に山本拓也社長の横に座る久保允誉会長に”そのこと”が質問された。

以下、久保会長と山本社長の話

質問者「新社長を決めるに当たっての決め手になったポイントと、その時期を教えてください」

久保允誉会長の答え

「これは、成績とは関係なく織田前社長とは3年という約束で社長に就いていただきました。私は今年の8月ぐらいから、次の社長候補を何人か絞っておりました。そして3人の方と面談をしました。その中で一番サンフレッチェにとってふさわしい人を選任することができたなあと思っています」

「チームの中で弱い部分、強い部分があるのですが、特にマーケティング、そのあたりは今まで積み重ねはしてきましたけれどもサンフレッチェにとって(課題で)、もっとしっかりやってサポーターに喜んでもらえるチーム作り、観戦、応援(の工夫)がしていただけると私自身が確信しましたので、山本社長にお願いした訳です」

「(面談した3人は)クラブ経営に関わった人ではありません。僕はそういう人を逆に選ばなかった。新しい視点でモノが見れる、そういう人を探しておりました。それも大学時代、高校時代にサッカー部に入っていた人を中心に人選しました。名前は言いませんけども、ある大手の企業に入っている人なのですがサンフレッチェがオファーした選手もいました。J1、J2の社長経験のない方を探しておりました。新たなサンフレッチェを作っていきたいという思いが強かったんでそういう人選をしました」

 

続いて山本社長の話。

「初めて声をかけていただいた時は正直、びっくりしました。こんな私なんかにもお声掛けいただいたということでありがたい気持ちでいっぱいだったのですけども、同時にサンフレッチェでこの仕事ができるなら、というところで。私は社長業は初めてですけども、できるんだったらやらせていただきたいと、即座に気持ちが湧いてきましたので正直言って何の迷いもなかったです。その場でやらせてくださいという気持ちになりました」

「私は(ユニホーム)サプライヤーの立場でこの7年間、半年に1回、サンフレッチェの社長、幹部のみなさま、各部門長のみなさまと、我々(ナイキジャパン)のマーケティング、広報、営業の責任者を交えたビシネスミーティングをやっておりました」

「その時にも他のチームさんでやられているけど、まだまだサンフレッチェさんでやられてないことが多々あったりですとか、広島という土壌を考えたらこういうことはできませんかとか、そういうことはけっこう出ていました。できたものも進行中のものも、できなかったものもありますので、逆に今度は僕はサンフレッチェの人間になるのでナイキジャパンに対してこういうことはできないのか?こういうことを一緒に手伝ってくれないか、とかけっこう言えるというのがありますのでそれはしっかり話し合っていきたいと思います」

 

世界のナイキ…

今さらその説明を加えるまでもないだろう。

モノが売れなくなる時代においてもなお最強を誇り、ライバルであるアディダスの追随を許さない。アディダスの本拠地、ドイツにもどんどん攻め込む。

そこに厳しい社内環境があることは言うまでもない。結果が全てだ。結果は数字によってのみ評価される。ダメなスタッフは脱落していく。そんな環境の中で山本社長は戦ってきた。

「ナンバー戦略」要するに各界のトップアスリートやチームと手を組むナイキは、例えばJリーグで言えば鹿島アントラーズ、浦和レッズ、横浜F・マリノスとサプライヤー契約を結んだ。そこにサンフレッチェ広島も加わった。2011年、本谷祐一社長の時だ。それまではミズノ製だった。

では、なぜナイキがサンフレッチェ広島なのか?その答えは「育成システムが日本一」だったからだ。

そのタイミングは抜群で、2011年12月に森保一監督が就任すると2012年、いきなりJ1制覇、さらに14年、15年連覇!その奇跡にも近い貴重な時間と空間をナイキジャパンのスタッフとして共有してきたのが山本社長だった。

この項続く。

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