画像は、何もない旧広島市民球場跡地から確認できる五輪スポンサー大看板。申し訳ない表現になるが立春を迎えてもなお寒々しい風景としか言いようがない…
もりトンカツ、いずみニンニク…
あの調べが蘇る。
森と、歪に、囲まれてんまつ…
もう森喜朗会長は終わった。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長続投は世界常識から考えてとても無理。今度ばかりはどうにもならない。世界を相手に、五輪のステージで歴史的な汚点を残した。
前回東京五輪は1964年。
「ブルー・シャトウ」のリリースは1967年3月。
ほどなくして、こどもたちはみんな?「もりトンカツ…」と歌い出した。
SNSのない時代になぜそうなったのか?ご存じの方はひろスポ!の広島スポーツ100年取材班までご一報いただきたい。
それはさておき、森氏の政治家としてのスタートは1969年。まさに「もりトンカツ」の時代だ。
年頭のあいさつ(1月12日)で森会長は「菅さん以上に悪口を書かれましてね。これは人生の中で初めて。森内閣でもこんなにひどくなかった気がします」とコメント。これにはみんなのけ反った。短命だった森内閣、その2000年、2001年にはツイッターもフェイスブックもない。SNSの時代と向き合うことができずに、どうして世界中と結ばれる組織委会長の座が務まろうか?
トップがこうだと組織は混乱する、組織の下で構築されたシステムも、だ。
同じことが広島でも起こっている。湯崎知事の一存で、どうしてもPCR検査を広島市民およそ30万人に行う、という。
「サッカースタジアム、県は金を出さんのか?」
「市は出す言うとる」
「PCR検査は効果が薄いんじゃろ?その金もスタジアムに回せばええ」
トレーニングクラブの風呂場で耳にした市民の会話だ。国内でも例を見ない大規模検査には約10億円が必要と発表されている。
湯崎知事は1965年生まれ。たぶん広島市内の小学校に通いながら「もりトンカツ」を口にしたはず?だ。
エリート校の広島大学付属中・高で学んだ湯崎知事は高校で交換留学も経験している。その後は1浪で東大へ…
浪人仲間の話を聞くと、評判が良くない。県知事選に出馬する際には唐突に応援を求めてきたが、その後はさっぱり…という訳だ。その詳細はここには記さないが…
また湯崎知事の通う(今はコロナなので以前の話)トレーニングクラブの会員は「ひとり黙々とやって、周りに対する気遣いもない」と手厳しい。
メディアで紹介される知事像とはかなり異なる実態が、そこにはあるのではないか…
政治家の裏表参照
NEWSポストセブン
日本をガッカリさせた菅首相 実直な東北人のイメージも崩れる (msn.com)
2020年5月、NHK「ラウンドちゅうごく」が転出超過で全国47都道府県のワースト1位になった広島県の実情を報じた。湯崎知事の下で広島が大変なことになっているのは事実だ。広島が「静かに眠るぅ…」では困る。
だから「80万人PCR検査」も合点がいく。誰もそれを止めることはできなかった。とうとうPCR検査予算は2月4日、可決された。
サッカースタジアム建設問題で湯崎知事は広島市側の段取りの拙さを指摘して、県が市と予算を折半しない方針を今も貫いている。広島市の進め方にも「どうかいね?」というところは山ほどあり、この点についてここで論じることはしないが、それより何より県内には湯崎知事に反発する議員が多数存在し、スタジアム問題も「だから前に進まない」と証言する関係者は多い。
電通本社ビルの売却ニュースで屋台骨まで揺らぎ始めた東京五輪は、森発言の強烈な逆風により2032年まで吹き飛ばされるだろう?その時、マツダスタジアムに続いて新サッカースタジアムも有する広島は何を世界に向けて発信するのか?
もっともその頃にはもう湯崎知事も松井市長もいないのだけれども…
(広島スポーツ100年取材班)
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