画像はひろスポ!アーカイブより、1964年9月、広島市舟入電停付近を行く東京五輪の聖火リレー、市内中心部の外れでも沿道は「密」…画像手前は電車の軌道が走る石畳
「AKIRA」
1982年から90年にかけてコミック誌に連載され1988年にはアニメ化された。大友克洋氏の代表作。
1980年は竹の子族最盛期、それにモスクワ五輪ボイコット。そしてユーミンの「時のないホテル」…その当時の東京のエネルギーが大友氏の手によって「ネオ東京」を爆走するエネルギーに変換されたことになる。
良いものは時代を超える。
だから1年延期となった東京の五輪の舞台で、「AKIRA」は復活するはずだった。
東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の演出の総合統括を務めていたクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が、渡辺直美さんの容姿を侮辱するような企画を提案していたと週刊文春が報じ、東京2020組織委員会は3月18日、佐々木氏の辞任を発表した。
文春報道はそれに止まらない。開閉会式責任者だった振付師のMIKIKO氏が大会延期のタイミングでその役を外された内幕も暴露した。
それによれば「佐々木氏を統括責任者とするため”排除”された演出振付家のMIKIKO氏」ということになる。
この闇を主導したのが電通ナンバー2の高田佳夫氏。佐々木氏とは電通同期。
MIKIKO氏の開会式プラン、そのプレゼンでさっそうと「AKIRA」は登場することになっていた。関係者の評価も非常に高かったという。当然だろう。世界から東京に向けられる目に映るのはまさに大友ワールドのような空間だ。極東×戦後復興×日本カルチャー…
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文春報道を受け、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は橋本聖子会長名で、「週刊文春」4月8日号及び3月31日配信「文春オンライン」が報じた開会式の演出案を巡る記事について抗議、並びに雑誌の発売中止と回収などを要求した。この行為は異常だろう。
組織委員会は抗議文の中で…
「万一、開会式の演出内容が事前に公表された場合、たとえそれが企画の検討段階のものであったとしても、開会式演出の価値は大きく毀損されます。加えて、組織委員会は、様々な代替案を考案するなど、多大な作業、時間及び費用が掛かることになります」と述べている。
この言い回しからすればMIKIKO氏案の魂の部分、「AKIRA」のネオ東京から新国立競技場まで疾走してくるはずだった“金田のバイク”を、まさかそのまま引き継ぐつもりだったのだろうか…
文春側は発売中止や回収の要求を一蹴した。新聞やテレビがスポンサーやステークスホルダーの顔色ばかり見て迎合、忖度する時代に見上げた心意気だ。
今年1月、都内港区の電通本社ビル売却の話が報じられた。戦後復興の時代に国策の下で急成長した電通は、今や様々な病巣が広がっているように見える。1991年にも男性の過労死が大きく報じられたのに、また24歳東大卒女性社員の過労死事件を起こした。闇から闇へ葬った事件がたくさんあるのではないか…
企業サイドや菅政権にとっての五輪「成功」のためになら何をやっても許される。習近平の中国やミャンマーの軍事政権はネット環境を遮断し、メディアを都合のいいように操るが、文春への抗議はそれに負けていない。
広島の片隅メディアのひろスポ!が「AKIRA」にこだわるのはそのエネルギーが広島型原爆の遥かに上を行くからだ。
「AKIRA」オープニングの、核実験場と同じ途方もない直径と深さのクレーターは、高度600メートルで核分裂を起こしたため1945年8月6日の広島にはできなかった。が、一瞬にしてひとつの街が壊滅したのは一緒。マツダスタジアムを何度も満員にできる人たちの命とともに、だ。
大正から昭和初期、軍都として著しい発展を遂げた広島は、国費によるインフラ整備や教育機関の充実が図られ、教師と学生の数がどんどん増えていった。それが「スポーツ王国」広島の誕生に繋がった。
消滅都市のスポーツはほどなく活動をできるところから再開し、戦後復興を支える力にもなった。広島東洋カープはまさにその象徴的存在だ。
前回、1964年の東京五輪では広島県から23人が代表入りした。
先ごろ“森会長後任騒動”に巻き込まれた川淵三郎氏も名を連ねたサッカー(男子)には、5人も広島人がいた。長沼健監督(当時34歳は監督最年少、のちにサッカー協会会長としても2002年日韓W杯開催を実現)もそうだ。
広島出身監督は、ほかにも陸上の織田幹雄(日本人初の金メダリスト)、レスリングの八田一朗、バレーボールの前田豊がいた。
バレーボール(男子)では猫田勝敏ら選手は3名。ホッケー(男子)は6人も代表に送り込んだ。
「広島の姿三四郎」と呼ばれた柔道軽量級の中谷雄英(広陵高-明大)は金メダリストになった。柔道はこの時から正式種目となった。ゆえに、柔道競技史上、最初の金だった。
当時の五輪開催にもやはりいろいろな思惑は渦巻いていたに違いない。しかし、高度経済成長の真っただ中にあった日本においては、多くの国民がテレビが白黒からカラーになっていく様に驚きながら、五輪開催を誇りに感じていたはずだ。日本人で良かったと…
大友氏より13歳年上の中谷氏はオイルショックの1973年に広島に戻り、広島市街地のど真ん中で営む家業の宝石店を継いだ。山陽新幹線の岡山-博多間が開業したのは1975年春、カープ初優勝もこの時だ。
広島の都市としての成長をまさに体感してきた中谷氏は今回、聖火リレーの走者だったと聞く。だが、その夢はかなわなくなった。
日本国内が開催だ、中止だ、と右往左往する中、見るに見兼ねた米ワシントン・ポスト紙が5月5日、ドイツ語表記でIOCトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、これが一気に拡散した。
元日蓮弁会長の宇都宮健児氏らが五輪中止への賛同を求める署名活動を開始したのはそのあと日本時間の5日正午。2日で署名は23万筆を軽く超えた。
5日には札幌市で五輪マラソンテスト大会があり、大会組織委員会の橋本聖子会長は「成功裏に終えることができた。東京大会のマラソンは非常に成功するのではないか…」と発言した。
大型連休明けの6日、広島市役所本庁内で職員8人の感染が確認されたことが発表された。広島での5月17日、18日の聖火リレーに合わせてバッハ会長が来日にして広島を訪れる、という計画に冷や水を浴びせるような“事件”だった。
このいわば”失態“について広島市の松井一実市長は会見すらせず、記者の囲み取材でも聞き取れぬほど声が小さかった。
広島県の湯崎英彦知事は公道でのリレー中止を示唆した。
7日には橋本会長がバッハ会長の来日は「非常に厳しい」と白旗をあげた。
8日、広島県の感染者は最多の181人に達しそのうち109人は広島市。3桁の大台は初となった。
7日、8日に被爆地長崎での聖火リレーが多くの人たちの努力により無事、終了したのは何よりだった。
そしてきょう5月11日、リレーのゴール地点となっていた広島市の平和公園と福山市総合体育館で、それぞれ無観客の点火セレモニーを実施すると湯崎知事が発表した。
「AKIRA」のワンシーン、2020年東京五輪までのカウントダウン看板に、「中止だ 中止」の落書き…
「中止だ、中止」はすでに電通本社売却話が浮上したころにはある程度“みんな”覚悟したのではないか?
東京五輪の中止と2032年開催プランが水面下で検討されているとロンドン・タイムズが報じたのも売却話が出たのと同じ1月だった。そこには「日本政府は内密に新型コロナウイルスのために東京五輪を中止しなければならないとの結論を出した。現在の焦点は次に開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保することにある」と明記されている。
「AKIRA」では核分裂より大きなエネルギーを平和利用?するため、時の政府がその存在を地下深くに封じ込め「内密」にする一方で、他の被検者に対する実験や研究を繰り返した。
「AKIRA」は人類存続へ数多くの警鐘を鳴らしている。その中に「見てみろ、この慌てぶりを」というセリフがある。それは福島第1原発メルトダウンにも重なる。
現政権も慌てふためき、五輪を開催する振りを続けながら、必死で他の道を「研究」していないか?
第3次世界大戦からの復興を遂げつつあったネオ東京は、その封じ込めたつもりのエネルギーの拡散によって瞬く間に廃墟と化していく。いったい日本は何度、被爆すれば気が済むのか?
75年は草木も生えぬと言われた広島が水と緑の今の姿になるまでには確かに長い年月が必要だった。
そして2021年7月の五輪開幕までカウントダウンの東京で、今度は何が待っているのか。
(ひろスポ!広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
※この記事は福山平成大学「広島スポーツ学」並びに福山大学「スポーツとメディア」講義内容から一部引用しています。
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(2021年1月22日掲載)