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広島スポーツ100年…市立福山と小田浩監督の挑戦、福山市内11箇所でPV応援、天理(奈良)相手に歴史的一戦に挑む~第108回全国高校野球選手権大会

市立福山

画像は市立福山高校グラウンド

 

 

広島スポーツ100年…市立福山の挑戦、福山市内PV11箇所で応援、天理(奈良)相手に歴史的一戦に挑む

 

第108回全国高校野球選手権大会第6日(8月10日)

 

春夏通じて甲子園初出場の市立福山はナイトゲームとなるきょうの第4試合(2回戦)で大舞台に立つ。相手は夏の甲子園を2度制し、春の選抜でも頂点に立った天理(奈良)。この春は智辯学園を破って県大会を制覇し、近畿大会でもベスト4に進んだ強敵だ。風のうわさでは小学生の時点で有力選手をチェックする、という。

 

 

広島県民注目の一戦、福山市内では市役所ほか計11箇所でパブリックビューイングがある。大変な盛り上がりが予想される…というか甲子園出場を決めて以来、ずっと盛り上がっている。

 

同校の吹奏楽部は午前中、コンクールに出場して夕方までに新幹線で新神戸まで行き甲子園へ向かう。学校内には一部クラブ指導者や事務局関係者が残るだけ。学校関係者のバスだけでも36台。1台に2名の引率教員が必要で、まさに学校上げての大イベントとなった。

 

 

「福山市を驚かせる」

 

 

通常「優勝」、「ベスト8以上」などを掲げる、広島大会前発行の中国新聞出場チームメンバー紙面で市立福山のところにはそう記されていた。ひろスポ!が長らく見てきた中では、際めて珍しい「目標」だったし、その時点では全91校、連合を含む85チームの“馬郡の中”に完全に埋もれているようでもあった。

 

だが、見事目標は達成された。広島県民はみな驚いたことだろう。

 

 

県予選における16強と8強の間に大きな壁がある。1975年創部の市立福山は1989年のベスト16を最後に1、2回戦敗退常連組だった。だからおそらくベスト8あたりが現実的なクリアラインだったはず…

 

それがいきなり夏の広島大会を制したのだから、これは広島スポーツ100年のスパンで見ても大きなニュースである。

 

ベスト4には大会4連覇を目指す広陵と、7年ぶりの夏甲子園を目指す広島商、それに市立呉と市立福山が残った。

 

 

そして春のセンバツ出場佼・崇徳を倒して勝ち上がってきた広陵を9対4で押し切った広島商を、市立福山が決勝で倒した。スコアは4対3。どちらに転んでもおかしくない展開ではあったが、最後まで市立福山ナインは素晴らしいパフォーマンスを発揮し続けた。

 

 

 

他のクラブと同じ活動時間の普通科高校で、なぜそれが可能だったのか?

 

 

広島大会を長らく見てきた中で、ある指導者の言葉に思い当たった。

 

「高校野球は、いい選手がいないと勝てない、でも自分のやり方をしっかり持っている監督であれば、夏の本番で1試合ごと強くすることができる。それともうひとつ。監督が1年目の時には結果が出ることがよくあるんですよ」

 

 

福山から甲子園を目指す!

 

それは関係者による努力の賜物だった。2022年4月、迫田守昭さん(80)が監督に就任した。当時の学校長は他校で野球部長も経験、福山市は練習環境の整備を同時に進め、23年には立派な寄宿舎もできた。(この記事トップの写真は寄宿舎ができる前の市立福山グラウンド)

 

広島商出身で名将のひとりとして知られる迫田守昭監督の下に選手も集まり始めた。練習は一言で表現するなら広商野球をベースにしたものだった。地力を養う貴重な時間になった。

 

しかし25年7月、迫田守昭監督が体調不良でチームを離れることになった。顧問兼コーチの長門功さん(28)が後を継ぎ、この春、小田浩さん(62)が福山市教委から送り込まれる、という形で監督に就任した。同じく甲子園監督だから、選手も親も関係者もその言動に注目した。

 

慌ただしいリスタートの中で「福山市を驚かせよう」という監督の言葉は校風にもよく馴染んだ。福山市赤坂の国道2号線沿いにある市立福山は中高一貫の公立佼。地元ではよく知られた存在であっても、普段、その動向を目にする機会は多くはない。

 

だが現在大学2年の卒業生のひとりは「海外の姉妹校との交流が活発で、韓国やオーストラリアの同世代の人たちから多文化を学ぶ貴重な体験ができました」と話し「中高一貫だから文化祭、学園祭は学年を越えた盛り上がりがあって、とても楽しかったです」と振り返る。

 

そんなフォレストグリーンのスクールカラーのグラウンドに立つ小田浩監督の姿はよくマッチしている。

 

大きな声では言えないが、小田浩監督は若かりしころ「とんがった存在」(同世代の県内教員経験者)だったらしい。

 

桑原秀範監督(80)の下、広島商の二塁手として夏の甲子園準優勝メンバーとなり、順天堂大学を卒業して西条農で保健体育教師としてスタートを切った。その時代に、西条の田園風景の中でスポーツタイプのBMWを走らせたりすれば、当然ありゃどうなっとるんかいの?となる。

 

しかも西条農を率いて91年と93年夏の甲子園へ。その存在はますます際立つものとなった。その後は海田でも監督を務め、2005年からは総合技術に移り07年の夏には広島大会決勝まで勝ち進んだ。

 

決勝の相手はあのエースの野村祐輔を擁した広陵で3対4とわずかに及ばなかった。さらに翌年も決勝で古豪相手に10対12の強烈な打撃戦を演じた。その3年後、11年春にとうとうセンバツに進んだ。

 

 

 

高校、大学時代も含めて長らく野球と向きあってきた小田浩監督は、春夏の大舞台を経験したことを一区切りとして、同年夏の県大会をもって監督を退任した。残りの教員生活では野球から離れた時間を過ごし教頭、校長という道を歩んだ。

 

だが、福山市からの要請を受け、この3月に竹原の校長を退任、もう一度、高校野球を通じて生徒たちと向き合うこととなった。

 

 

広島県民を驚かせたことで、小田浩監督の人となりは様々なメディアで紹介されることとなったが、実は大事なことがスルーされている。

 

それは小田浩監督の野球は広商野球とは一線を画している、ということ。そうなると迫田守昭さんの時との整合性が疑われかねない。だが結果は甲子園。迫田守昭×小田浩野球は選手たちにとってはベストミックスだったのである。

 

すでに気づいている高校野球ファンはいるだろうが小田浩監督は広島大会前から、バント練習には時間をかけない、と公言してきた。広商野球でそれはあり得ない。

 

また打つことに関しては「球にくらいつく」「しっかりスイングする」とも言ってきた。端的に言えば攻撃重視だ。

 

 

これは小田浩監督が、桑原野球の下で甲子園を経験したことが影響している。

 

桑原野球は法大三羽烏と呼ばれた山本浩二さん(79)らと大学時代をともにしたことが基本となっている。ゆえに広商OBにして広商野球に非ず。二塁手・小田浩らを率いて1982年夏の決勝ではやまびこ打線の池田と激突、2対12の大差で敗れはしたが、この時の両校は「甲子園戦法の両極ともいえる対決」として今も語り継がれている。

 

 

…ということは、見る人が見ればこの夏の広島大会決勝は広商OBの荒谷忠勝監督(49)率いるまさに広商野球を、打倒広商!精神の市立福山ナインが監督とともに撃破した、という図式になる。

 

その広島大会決勝から4日後の8月1日、広島商は花坪研野球部長(46)の新監督就任を発表した。

 

 

広島における高校野球のあらゆる出来事をフィルターにかけた結果、「イチコウ」の4文字が残った。選手の良さを引き出す指導法と、勝負どころでの小田采配が光る。

 

 

「さびつている」と表向き、ベンチワークについて多くを語ろうとしない小田浩監督ではあるが、しかし還暦を過ぎても広島大会決勝後のインタビューで「福山高校、関係者のみなさん、並びに福山市民のみなさん、おめでとうございまーす!」と大声を張り上げた姿は十分、とんがっている。

 

普通科高校で進路を見据えながら野球との二刀流に挑む選手たち。指導者の背中から多くのことを学び、有意義な高校生活の中で苦楽を共にしてきた仲間たちと、夏の甲子園で存分にプレーすることになる。(ひろスポ!広島スポーツ100年取材班&田辺一球)

 

※この記事は福山平成大学「広島スポーツ学」の教材として使われます。

 

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