特別寄稿
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コラム「赤いスタンドから見る、誇り高きブルー」
ザックジャパンが解散した。
「責任はすべて私にある」
2010年8月の監督就任からほぼ4年、世界16強の壁を乗り越えてその先を目指す挑戦は、1分2敗の1次リーグC組最下位という一番内容の伴わない結果に終わった。
終わるまですべて起こる。
日本代表監督時代にそう語ったイビチャ・オシム氏は、母国、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の世界初舞台にどんな思いを重ねているだろう。
内戦と負の歴史の積み重ね。旧ユーゴスラビア時代には近代都市のど真ん中から炎と黒煙が上がるようになり、多くの血が流れ、同胞が憎み合い、差別し合い、欺き合い、故郷を去る人には故郷を誇る思いはなく…。
自分たちの存在をどうとらえていいかわからない。そんな時でもサッカーの力でできることがきっとある。
迎えた1次リーグF組最終戦。1勝もできずに大苦戦のアジア勢の一角、イランを相手に後半残り10分を切ってからの死闘を制し、ついにボスニア・ヘルツェゴビナは歴史的1勝目を手土産に故郷へと帰って行ったのである。
それでは現地解散したジャックジャパンの面々は、その旅行ケースの中に何を詰めてそれぞれの活動の場、生活の場に持ち帰ったのか。国に帰り、知人や仲間たちに誇るべきものはどういうものなのか?傍から見ていただけでは分かりにくいし、“心が空っぽ”のままではないかと、心配にすらなってくる。
4年の歳月をかけ、地球の裏側に乗り込み、蓄積されてきたはずのものを全部さらけ出して世界に挑む。
そんなサムライブルーの誇り高き、至極のはずの6月は、あの雨に煙ったコートジボアールとの初戦の後半戦途中から、純粋なブルーの色彩をみるみる失って落胆の色だけが浮かび上がった。
本田が先制ゴールを決めて相手より圧倒的に優位な立場にいたあの時間は、確かに世界16強のトーナメント表がその視界の中に入っていた。多くの選手が海外での経験を積み、国際舞台の何たるかを知っている今のメンバー構成は、20数年前、Jリーグスタートを前にした頃のそれとはまったく比べものにならない。
しかし、コートジボアールが後半、メンバーを入れ替え逆襲に転じようとした時間帯にザッケローニ監督は適切な指示を出すことができず、攻めるのか、守るのかを曖昧にしたその隙間を突かれ、わずか3分間で2度のゴールを許して奈落の底へ突き落された。
日本代表が世界16強とその先に近づくチャンスは確かにあった。それも270分に及ぶ戦いの中の最初の45分と少しの間だけ。
終わるまですべて起こる、とあの時、ピッチに立っていた碧き炎の11人の大半がそう心に念じていれば、2点目の失点はなくなり、同点のまま第2戦へ、という別のストーリーも十分に想定できた。
準備期間の4年間と、世界16強が逃げていったザックジャパン致命傷の3分間。
選手も関係者もサポーターも、両者をその胸の中に刻み込むことで、次のサムライブルーは限りなく透明に近いものになる。
アジアへ、そして世界へ。長旅を終えたザックジャパンにTschues!
そして4年後の、おそらく次回もまた「広島魂」を宿すはずの代表メンバーにCheers! Cheers!
文=田辺一球(元サッカー日本代表担当記者、カープ担当記者)