2007年11月、旧広島市民球場正面玄関で「FA移籍」について語る黒田博樹。活躍の舞台をマツダスタジアムにかえて黒田博樹が広島に戻ってくる。
ついに黒田博樹がカープに復帰する。マツダスタジアムのマウンドに立つ。マエケンと共演する。広島の歴史が変わる…
メジャーリーグ日本人投手最高峰の実績を引っさげて黒田博樹が懐かしい街に帰ってくる。赤いユニホームを身にまとい、その剛腕を再びカープファンに披露する。
迷いはあった。メジャーか、ヤンキースか、国内復帰か、ではない。引退か?広島復帰か?
「燃え尽きるつもりで投げる」、メジャーでの7シーズンでその肉体も精神もほぼ限界に、いや限界を超えるところまで来ていた。
広島時代からすでに肘も腰も万全ではなかった。だから「気候のいい」米西海岸で勝負をかけた。広島で培ったすべてをぶつけ、やがてメジャーの頂点に立つヤンキースからの誘いを受けるまでになった。
そして2012年のヤンキースで日米自己最多の16勝。現在、5年連続二けた勝利。フォークと150キロ台の速球を駆使してバットをへし折る広島時代からバットの芯を外す投球パターンにスタイルを変え、見事、広島育ちの「剛腕の証明」をやってのけた。
今オフもまた11月にはドジャースが、そして古巣ヤンキースも常人には気の遠くなるような高額オファーを出してきた。たが、もう稼げるだけ十分に稼いだ。
おカネ以外に大切なものがたくさんあることも分かっていた。
友情、愛情、故郷を慈しむ心、そして赤の魂…
引き金は突然、引かれた。新井貴浩、カープ電撃復帰。2007年オフ、ともに涙を流しながら広島をあとにした仲間がまた赤いヘルメットをかぶるという。
心が動き、ボロボロの肉体に再び沸き立つものがあった。
10月広島に戻り、懐かしいチームメートの顔を見て気持ちが動いた。12月、二度目の”帰郷”では新井ともじっくり話をした。
そして…
広島の青い空を見上げ、自分を育ててくれた街で思い切り深呼吸した。クリマスイブに日本を発ち、帰国後すべての用意を終えて「決めて絶つ!」覚悟を決めた…。
「引退はしない、再びカープファンの前で投げる」
その気持ちを球団幹部に国際電話で伝えた。
メジャー通算79勝、メジャーが21億円を超える年俸を提示した剛腕が本当に、本当にマツダスタジアムのマウンドに立つ。
そう、背番号15に8年ぶりに赤の魂を込め、カープ優勝の栄光とともに燃え尽きるために…
※この記事は公式携帯サイト「田辺一球広島魂」記事をもとに再編集しています。
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