広島のエース黒田博樹の素顔」第13回
ミスター完投、黒田を取り巻く環境を大きく変えたマーティー・ブラウン監督
黒田博樹が初めて二けた勝利をマークしたのはプロ入り5年目の2001年で12勝。翌2002年から10勝、13勝、7勝、そして15勝と推移した。
2001年は達川監督から山本浩二監督がバトンを受けたシーズンでもある。山本監督の5シーズンの成績はつぎのようになっている。
2001年 4位 勝率・511、借金3、打率・256、防御率3・82
2002年 5位、勝率・471、借金8、打率・269、防御率4・36
2003年 5位、勝率・486、借金4、打率・359、防御率4・23
2004年 5位、勝率・438、借金17、打率259、防御率4・75
2005年 6位、勝率・408、借金26、打率276、防御率4・80
注目すべきはチーム防御率の悪さ。4年連続で4点台、しかも最後の2年は5点台にも手が届きそうな勢いで、逆に最下位に沈んだ最終年は勝率が4割を切りそうなところまで落ち込んだ。
2005年のシーズンは「全員黒田化」計画が首脳陣の間で持ち上がり、春のキャンプではどの選手も「黒田に負けないスタミナ」を育成するため走り込み、投げ込みを行った。
その結果が12球団最多の与四球数となって跳ね返り、チーム打率2割7分6厘の猛打を誇ったにもかかわらず、借金26を抱え込み、山本体制幕引きとなった。
ちなみに昨季の広島34位で勝率・521の貯金6、打率・272、防御率3・79。
そして最下位に沈んだチームの再建はマーティー・ブラウン監督に託された。前年のデータをつぶさに分析したブラウン監督は「黒田の中4日フル回転」と合せて「他の投手は自分の一番自信のある球をストライクゾーンにしっかり投げる」というシンプルな目標を全投手陣に投げかけた。
その結果、チーム全体の与四球数は激減。1年目のシーズンは借金17の5位ながらチーム防御率は3・96まで回復した。…と同時に黒田にも劇的な変化が起こったのである。