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2017年11月21日
編集部

旧広島市民球場跡地からスポーツとスタジアムを遠ざけていた松井市長の立場どうなる?FISE・フェスティバル、為末大さんも「広島は直接、世界と結ばれた方がいい」

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大野さんと為末さん
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トップ画像は旧広島市民球場跡地でのかけっこイベントでカープOBの大野豊さんと広島スポーツについて語り合う為末さん(右)

 

ひろスポ!「開”局”記念」の特別インタビューとして、NHK報道番組ほかで幅広く活躍中の為末大さんにインタビューさせていただいたのは2014年4月のことだった。

連載したインタビューのタイトルは「侍ハードラー、広島の真ん中で広島を語る」。その中で、旧広島市民球場跡地とスポーツ、スタジアム、平和の関係について語ってもらった部分をそのまま抜き出して、ここにもう一度、掲載する。インタビュアーは田辺一球。

為末さんはその中で…

ライバル都市は東京に非ず、広島は早く日本を飛び出して世界と直接結ばれた方がいい…

と言い切っている。

世界から広島に注がれる目と、国内スポーツ関係者や広島に住んでいる人たちの考える広島に対する見方、その価値感には大きな差がある、ということをもう一度、ここに記しておかなければならない。

11月20日に旧広島市民球場跡地を見下ろすおりづるタワーであった「FISE Hiroshima 2018」記者発表の中で、そのことも改めて確認することになった。

「FISE Hiroshima 2018」の国内最高責任者である世界体操協会 渡辺守成会長は「世界のスポーツ界のみなさんに、広島でやれるんだと話をしましたら、世界中のスポーツ関係者がそれは素晴らしい、広島というスポーツの平和都市とスポーツがコラボレーションするのは素晴らしいと、まあ絶賛していただいた状況でございます」とコメントした。

その言葉を聞きながら、渡辺会長に気づいてもらえるよう、大きく頷いておいた。

また、運営主管ハリケーン社のハーヴィ代表は、世界中からアーバンスポーツ観戦者を呼び込むことのできる場所としての旧広島市民球場跡地について、力強い口調で次のように述べた。為末さんの話と完全に重なっている。

「広島は平和都市としての象徴であるからです。私たちのアクションスポーツには、平和をひとつの精神構造としてみんなで楽しむというDNAが刻み込まれています」

「旧広島市民球場跡地は非常に適切でパーフェクトプレイス、国際的なイベントを開催する上で、これほど適切な場所はないと考えます」

 

これまで、サッカースタジアム問題、旧広島市民球場跡地活用策に関して広島市担当者と松井市長は、旧広島市民球場跡地とスポーツ、サッカーを遠ざけることにばかりに腐心してきた。そのことが見事にひっくり返された瞬間が11月20日のおりづるタワー会見だった。おりづるとアーバンスポーツ。シチュエーション的にもナイス!である。

 

2014年4月10日、4月21日ひろスポ!掲載分。
「侍ハードラー、広島の真ん中で広島を語る」

世界から見る広島、そのありのままの姿が見えていますか?

為末 僕が広島に一番言いたいことも今までのお話にかぶるところがあるかもしれません。とにかく一回、海外に行って、そこから広島を見てみると、こんなに可能性が詰まっている街はない、ということがよく分かります。広島のみなさんには、もうちょっとそれに気づいてもらいたいんです。

それは、うーん…、どう言えばいいんでしょうね。今、このテーブルの上にコップがありますけど、それこそ世界で稀に見るような国宝級のコップが国内の何カ所かにあったとしましょうか。ある村の人たちはそれをたくさん持っているんだけどみんなその価値を知らないままガンガンに使って壊したり割っちゃたり、とそんな風に見えるんですね(苦笑い)。

一回、外から見ると「あれはすごいよ」っていう話なんです。世界のみんなが広島の名前を知っているということに気づいて、それをどうやって利用しようかっていうところに早く向かって欲しいな、と思います。

ただ難しいのは、単純に広島は世界からいいイメージではとらえられてはいない、ということです。ローマ字で「HIROSHIMA」と検索すると被爆の画像や情報がたくさん出てきます。この前、僕はボスニアに行ったんですが、現地のセルビア人の方が「日本の広島の放射能は大丈夫か?」と聞いてくるんですね。

彼らからするとネットで見る画像やイメージのままなんです。これはやっぱり問題で、「HIROSHIMA」で検索して出てくるデータの半分ぐらいは明るい話題に変えようよ、っていうことから始めないといけません。

ライバル都市は東京に非ず、広島は早く日本を飛び出して世界と直接結ばれた方がいい…

それには、オセロをひっくり返すように今あるものをうまくひっくり返していければいいんです。ないものを作るのは大変なことですけど、広島のイメージをうまくひっくり返すことができれば、世界で唯一のすごく印象の強い街になると思いますよ。広島は決して「悪名」ではありませんが「悪名は無名に勝る」とも言われます。

もう東京から広島、とかそんな話じゃなくて、パリから広島に飛んでくるイメージですね。だから広島のアンテナショップも東京・銀座じゃなくてロサンゼルスやフィレンツェに置くんです。

そして世界シェアを占めている熊野筆とかそういう特産品をそこで売りさばき、愛用してもらって、地場産業が各地に生産拠点も設け、ファッション、カルチャー、スポーツ文化の各ジャンルで欧米と直接つながりを持つんです。広島は早く日本を飛び抜けた方がいいですよ。

ライバルは東京とかじゃないんです。ヨーロッパを転戦していて、僕が一番感じたのはそういうことなんです。

まず学ぶために広島に来てもらうという発想で

為末 フェイスブックでも、広島がやれば国内都市の中でも上位に行くと思うし、広島に住んでいる外国の方に書き込みを許可して、どんどん画像などをアップしてもらうんです。たぶん、みなさん無償でやってくれると思いますよ。おカネをかけずに広島のありのままの姿を世界に発信する方法はいくらでもあるんじゃないでしょうか。

日本国内では少子化の問題が言われ始めて久しいのですが、同じような悩みを抱える国では移民以外でこの問題に対抗したところはありません。しかし、日本にいきなり外国の方がたくさん入ってきていいか、というとこれもなかなか大変です。それなら学生として一度、日本に来てもらって、それから根付いてもらうのが一番だと思うんです。

…そうすれば広島は国内のモデルケースになる

仕事、観光で広島に来るのと、学びで来るのでは広がりが違ってきます。広島で日本語を学んだ学生が広島を好きになってくれて将来、この街で暮らしてくれれば人口減少問題の対抗策にも成り得ます。少しずつ広島が変わっていくその姿を、広島のモデルケースを東京に示していくような立場にならないと…、という話なんですね。

田辺 「広島がモデルケース」という意識を我々が持てるかどうか、ですね。

為末 そこなんです!僕は「スポーツ平和学」という世界的にまだあまり例を見ないジャンルにすごく興味を持っています。国連でも紛争地帯でスポーツをうまく使い平和に持ち込むという試みが行われています。いろんなことにスポーツを使えるんじゃないか、ということです。

例えば引退したオリンピック選手がみんなこの広島に来て、ここで学んでそのあと「スポーツ平和大使」としてアフリカやアジアの国々に入っていく。それが引退後の人生の、セカンドキャリアの選択肢のひとつになればいい、とそんな風に考えます。

スポーツ平和学とスポーツ平和大使…広島は世界の五輪選手の学びの拠点になれるはず

田辺 せっかく1994年に広島アジア大会を開催したのにそれ以降、ぼやけていた広島の進むべき道が見え始めました。その国連組織のアジア地区の活動拠点が、今我々がいる紙屋町交差点のカフェから徒歩5分もかからない広島市民球場跡地に建設される、しかもその施設は国際交流の舞台にふさわしいサッカー競技施設を中心とした複合・多目的スタジアムに組み込まれている、というのはどうでしょうか?

市民球場跡地に新サッカースタジアムを建設して「サッカー学部」のある大学を併設

為末 いいですね!しかも大学の施設と一緒でいいと思います。サッカー場もあるけどその横にそういう建物が併設されていればいいんです。そこには日本初の「サッカー学部」があったりするとなおいいですね。とにかく広島はこの国の既存の発想から飛び抜けていい街なんですから、スポーツ文化などキラーコンテンツをしっかり活用して世界に出て行って欲しいと思います。

田辺 非常に興味深いお話になってきたところで今回は時間切れとなってしまいました。最後に為末さんのこれからについて、簡単に教えてください。

為末 僕が今、力を入れているのはスポ―ツで社会の価値を見出していくっていうところなんです。2020年の東京オリンピックも意識しつつ、いろいろな側面から応援していけたらな、と考えているところです。

田辺 東京まであと6年しかありません。すぐですよね。広島のアスリートがたくさんその舞台に立てるよう、為末さんぜひ再々広島に戻ってきてこれからも子供たちと触れ合ってください。ありがとうございました。

為末 ありがとうございました。

為末 大(ためすえ・だい)
1978年5月3日生まれ、広島市佐伯区五日市出身。五日市中学2年生で15歳の時に、100メートルジュニアオリンピック記録を更新。広島皆実高校2年時に100メートルで同級生に勝てなくなりハードルへの道を模索するようになる。法政大学に進学し、20歳の時に大学選手権400メートルハードルで優勝。22歳でシドニー五輪に出場するが予選敗退。大学に残り、23歳で挑んだ2001年世界陸上エドモントン大会で日本人選手トラック競技初のメダルとなる銅メダルを獲得。
大阪ガスに就職するが、2004年にプロ選手に転向。翌2005年、世界陸上ヘルシンキ大会でも銅メダル。オリンピックも2004年アテネ、2008年北京と3大会連続で出場。「侍ハードラー」の呼び名で長らく日本陸上界をけん引し、2012年に34歳で引退。「諦める力」(プレジデント社)ほか著書多数。学校体育、社会体育などの場で「走ること」などを通じ、スポーツの普及・振興に務めている。ツイッターのフォロワー数が45万5000人を超えており、その発信力は常に注目されている。

為末大大オフィシャルサイト
tamesue.jp/think

ツイッター
twitter.com/daijapan

新サッカースタジアム取材班

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