画像は安部選手が広島での最後の公式戦ピッチに立った時のもの、その胸に輝くメダルの色はこのあと、どんな色になるでしょうか?
サッカー日本代表で、鹿島アントラーズに所属する安部裕葵選手がスペイン1部リーグのバルセロナに完全移籍することが7月12日、クラブから発表されました。
スペインのメディアによれば、移籍金は200万ユーロ(約2億5000万円)。 安部裕葵はバルサBでプレーする模様です。
バルセロナはリーグ26度の優勝を誇る屈指の名門。欧州チャンピオンズリーグも5度制しています。
東京都出身の安部選手は1月生まれの20歳で171センチ、65キロ。
Jリーグ下部組織でプレーする機会のなかった安部選手は広島の強豪、瀬戸内からの誘いを受け単身、広島へやって来ました。
高校3年間でサッカーとだけ向き合い、プロになる道を選びました。3年やってみてダメなら大学サッカーでプロを…とはもう言わない。
人生の分岐点を3年後に定めていたのです。
2016年、3年夏のインターハイで3ゴールを決め、その存在を全国に知らしめ、鹿島アントラーズからのオファーを受けました。
11月、選手権大会切符を懸けて臨んだ広島大会決勝では、広島皆実に1-2のスコアで敗れ、広島での3年間にピリオドを打ちました。
そして2017年、鹿島アントラーズへ。
当時、Jリーグを代表するクラブの一員となったことについて、安部選手は世界になぞらえ、クラブでいえばレアル・マドリード、国に例えるならブラジル、とも話していました。
そして2年半の間、Jのピッチで自らを高め、その夢が現実になりました。
J1通算では49試合で4得点でした。6月に開催された南米選手権のチリ戦で森保ジャパンデビューも果たしました。
今回、この話が短期間のうちにまとまったことについて、現地では、バルセロナの下部組織に所属していた久保建英選手が、レアル・マドリードに電撃加入したことに対するフォローでは?という見方もあるようです。
でも、日本代表の未来を背負って立つふたりが、世界最高峰の舞台を目指してスーパースターたちと切磋琢磨する日々の中にいることに変わりありません。
広島の3年間で積み上げたことが、Jリーグのピッチ同様、ヨーロッパでのピッチでもまた、花開きますように…
スポーツでもっと幸せな広島へ…
そう、広島の街から見上げる夏空は、そのまま世界舞台へと続いているのです。
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