画像はリオ五輪銀メダルを故郷、広島に持ち帰った時の山縣亮太(中央)、左端に父・浩一さん
広島修道中学・高校出身の山縣亮太(28歳、セイコー)が6月6日、鳥取市のヤマタスポーツパーク陸上競技場であった布勢スプリント男子100メートル決勝で、9秒95の日本新記録を叩き出した。
2019年6月、サニブラウン・ハキーム(22歳、タンブルウィードTC)が記録した9秒97を0秒02更新した。9秒台は日本勢で4人目。自己ベストは過去2度の10秒00。
山縣亮太は追い風1・7メートルの予選で10秒01をマークして、東京五輪の参加標準記録(10秒05)を突破。
決勝は文字通りの追い風2・0メートルで、中盤以降で一気に先頭に立ちそのままゴールを駆け抜けた。
山縣亮太は侍ポーズで銀メダルを獲得した2016年8月のリオデジャネイロ五輪、陸上男子400メートルリレーのスターター。しかしここ2年は腰痛などコンディション不良に悩まされ続けた。
技術面の専属コーチなし。幼少の頃から自分で考えて工夫する習慣を身に着けて、「知特併進」知を深め心を磨く、中高一貫の修道学園教育の中でそのノウハウをさらに膨らませた。
大切なのは想像力と創造力。
日本人初の金メダリスト、広島県安芸郡海田市町(現海田町)出身の織田幹雄も「指導者はいないんだから」と犬や猫の走り方を研究して自ら何千ページもの資料を作り、独自のノウハウによるホップ・ステップ・ジャンプで世界を制した。
大型店の台頭で厳しさの増す「町のスポーツ店」を経営する父・浩一さんの教えでもある「PDCAサイクル」の教えも競技生活の軸になった。PLAN- DO-CHECK-ACTIONの歩みを止めることはなく、積み重ねてきたその成果が東京五輪開催を目前にしたこのタイミングで見事花開いたことになる。
広島スポーツ100年取材班
JR海田市駅南口に設置された織田幹雄スクエアの案内で三段飛び金メダルの15メートル21がそのまま示されている。同記念館は東京五輪開催に向け、2020年4月に開館したがコロナ禍と重なり、十分に活用されていない