地域と共に、みんなの広島スポーツ交流マガジン

【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア > サンフレッチェ広島 > 広島ビッグアーチアジアの大砲がエディオンスタジアム広島のピッチに帰ってくる、長崎と広島から平和の願いを世界に伝えるために8月13日高木琢也氏来場
2023年08月08日
編集部

広島ビッグアーチアジアの大砲がエディオンスタジアム広島のピッチに帰ってくる、長崎と広島から平和の願いを世界に伝えるために8月13日高木琢也氏来場

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
高木琢也
  • 3

    飛翔会

  • 2

    ダグ

  • レッドヘルメット

画像はサンフレッチェ広島の最初のユニホームでドリブル突破する高木琢也氏

 

サンフレッチェ広島は8月8日、明治安田生命J1リーグ第23節のホームゲームにサンフレッチェ広島初代メンバーのひとり、高木琢也氏を来場ゲストとして招くことを発表した。

 

 

明治安田生命J1リーグ第23節
8月13日(日)午後6キックオフ、エディオンスタジアム広島
サンフレッチェ広島vs浦和レッズ

 

 

来場イベントは午後4時50分ごろから、スタジアム場内サイド(メインスタンド側)でのミニトークショーとなる。

 

問い合わせはサンフレッチェ広島 企画広報・ピッチ部(電話082-259-3220)

 

 

サンフレッチェ広島とV・ファーレン長崎は、世界で唯一の被爆都市をホームタウンとするクラブとして、それぞれが開催する「平和祈念マッチ・ピースマッチ」において、様々なイベントを通して、平和の願いを世界に伝える活動を続けている。

 

その活動の一環として、サンフレッチェ広島のレジェンドOBで、現在V・ファーレン長崎の取締役 兼 C.R.O(クラブリレーションズオフィサー)として活躍中の高木琢也氏に白羽の矢が立った。

 

高木琢也氏は1991年、サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCに加入し、JSL(日本サッカーリーグ)1部で新人王を獲得。Jリーグ誕生で耳目が集まる中、1994年には188センチの長身を生かした無類の強さのヘディングシュートを次々に決めて、14ゴールを挙げるなど、サントリーシリーズ優勝の立役者のひとりとなった。

 

日本代表としても1992年にエディオンスタジアム広島(当時は広島ビッグアーチ)、のこけら落としを兼ねて開催されたアジア大会で決勝でゴールを決め初優勝に貢献。「アジアの大砲」の名をとどろかせた。

 

2000年に現役を引退した後は、指導者として多くのJクラブを率いる中、横浜F

Cや長崎をJ1昇格に導いた。

 

◆プロフィール

生年月日:1967年11月12日

出身地:長崎県

 

選手歴(広島関連のみ)

1992年 マツダSC

1992年~1997年 サンフレッチェ広島

※J1リーグ:151試合出場、53得点

LINEで送る

シェアしてお友達にもこのニュースを教えよう!

ひろスポ!の情報を逃さずチェック!

※SSL暗号化通信で登録します。
※メルマガはいつでも解除出来ます。
  • 6

    レッドヘル

  • 1

    医療法人社団飛翔会

  • 5

    アイフット

  • 4

  • 2

  • 3

有料メルマガ配信案内