画像は新井貴浩監督、手前は藤井彰人ヘッドコーチ
8月7日 △3-3巨人(延長12回)(東京ドーム)
広島 000 000 030 000・3
巨人 000 101 010 000・3
広島通算95 試合51勝39 敗5分け(首位キープ、2位巨人と2差のまま)
18時開始・4時間30分、41,476人
相手先発 グリフィン71/3、7回5安打3失点
広島本塁打 -
巨人本塁打 -
広島登録抹消 △アドゥワ
広島スタメン
一番センター秋山
二番ライト野間
三番ファースト堂林
四番サード小園
五番レフト末包
六番キャッチャー坂倉
七番ショート矢野
八番セカンド菊池
九番ピッチャー床田7回111球10安打2失点(自責2)
島内
塹江
H森浦
Hハーン
H栗林
黒原
真夏の9連戦、2試合目はジャスト4時間30分を戦って3対3引き分けに終わった。
試合後の新井監督の第1声は勝った時と一緒で「ナイスゲーム」だった。
先発した床田は7回で10安打されながらも2失点。開幕から18試合連続でクオリティースタートを成功させた。六回まで巨人先発のグリフィンの前に12三振だった打線は七回に長身左腕を捉え、野間の適時打で1点差に迫ると、小園が二番手ケラーから2点打して一塁ベース上で両手を掲げて笑顔になった。
その裏、二番手の島内が四球→二盗で二死二塁とされると、ベンチは迷わず塹江にスイッチ。だが打席の丸の方が一枚上手で右中間への二塁打によって試合は振り出しに戻った。
九回、大勢の前に3者三振に終わった打線は、延長十回、先頭の大森がセンター左への打球で二塁へヘッドスライディングしてタッチアウト…延長十一回には、四球出塁の坂倉がバントで二塁に進むと、続く菊池の打席で投球がキャッチャーの股間を抜け三塁を狙ったがこれもアウト…
この時、坂倉は菊池の”行け”のジェスチャーを見て走ったのだろう。だが、試合後の新井監督はそれもこれも含めてずべてを受け止めた。
2月の沖縄キャンプから、投球がバウンドして捕手が少しでもファンブルすれば二塁を狙う走塁などに磨きをかけてきた。そういう「紙一重のプレー」を大事にするのが新井流。長打不足を補うためにはそうした技量が要求される。失敗を咎めることもなければ、失敗を恐れる選手もいない。
指揮官が小学校低学年だったころ、父親に手を引かれて通った広島市民球場では”カープ黄金期”を築いた古葉竹識監督が指揮を執っていた。リーグ初優勝を手始めにV4と3度の日本一を達成した名将の座右の銘は「耐えて勝つ」。
ならば昭和、平成、令和と時代が目まぐるしく流れる中でのそれは「褒めて勝つ」…
古葉さんが最後に日本一になったのは1984年、今からちょうど40年前の話、である。