画像はマツダスタジアム
7月31日 〇6-3DeNA(マツダスタジアム)
DeNA 000 001 000・1
広 島 000 200 00X ・2
広島通算89 試合46 勝39 敗4分け(首位巨人に1差の2位)
18時開始・2時間42分、29,214人
相手先発 ●東6回5安打2失点
広島本塁打 -
DeNA本塁打 -
広島登録抹消 ▼玉村
広島スタメン
一番センター秋山
二番ライト上本
三番レフト堂林
四番サード小園
五番キャッチャー坂倉
六番セカンド菊池
七番ショート矢野
八番ファーストシャイナー
九番ピッチャー床田〇(17試合10勝5敗)7回86球8安打1失点(自責1)
Hハーン
S栗林(43試合4敗28S)
「俺が夏男だ!」
お立ち台の右端で、四回決勝タイムリーの矢野が叫んだ。その直前に同点二塁打を放った菊池は「まずここに立つのがお久しぶりです」と控え目だった。ふたりに挟まれた床田は「いつも最強の守備陣が守ってくれるので前に飛ばせばアウト取れるだろうと思って投げてました」とふたりを持ち上げた。
究極の左腕対決だった。
ここまで8勝1敗、防御率1・92の数字を残していた東から、ヒーロー二人の活躍で奪った四回の2点がそのまま決勝点になった。前回17日の対戦でも両軍無得点で迎えた七回、シャイナーがV3ランを放ち、開幕から負けなしで来ていた東に土をつけた。ワンチャンをモノにするのは簡単なことではない。
強敵に投げ勝った床田はリーグ最速で二桁勝利に到達して防御率も1・652まで下がった。リーグ第4位の森下が同1・675。さらに長らくトップをキープする大瀬良が同0・82…トップ5の中に3人が名を連ねるのは間違いなくリーグ優勝へのアドバンテージになる。
試合前の一塁側ベンチとカープファンで埋まるスタンドは厳かな雰囲気に包まれた。カープ球団から1986年のV監督でもある阿南準郎氏が30日に亡くなったことが発表され、黙とうのあと喪章着用でのプレーボールとなった。
ユニホームを脱いだあとも、阿南準郎さんの球団への貢献度は極めて大きかった。1989年にフロント入りすると、球団本部長などを務めた。当時は老朽化した広島市民球場での入場者が100万人を切ろうかというような厳しい時代だったが、温厚な人柄で組織をまとめ、球団経営を支え続けた。
その人となりについては、入団当初からお世話になったという新井監督もよく知っている。1977年、カープ黄金期前に生まれた新井監督は父親に手を引かれ通った広島市民球場で古葉-阿南-山本浩二の豪華指揮官リレー、イコール赤ヘル軍団の何たるか、をその目に焼き付けた。
あれから30数年が経過してその大役を自らが担うことになった新井監督は「特別な日に勝ててほっとしています」と長かった一日を静かに終えた。