画像は続々と来場する現地の人たち
サッカーW杯北中米3カ国大会アジア最終予選・C組第5戦 日本-インドネシア(11月15日、インドネシア・ジャカルタ、ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム)
ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムのSAMURAI BLUEサポーター、多勢に無勢…
森保一監督とともにW杯優勝への道を歩むサッカー日本代表がインドネシアに4-0快勝した。日本はFIFAランク15位、インドネシアは同130位。
FW上田綺世(フェイエノールト)をケガで欠く日本は小川航基(NEC)がこの最終予選で初スタメン出場。
キックオフ直前からピッチは強い雨に見舞われ、7万8000人収容のスタンドに”完全アウェー”の異様な空気が充満する中、前半9分、インドネシアは強烈なカウンター。1対1となったGK鈴木彩艶がスライディングアタックでシュートをストップ!
迎えた前半35分、日本は相手ペナルティエリア前から細かくパスをつなぎ、最後は小川航基が詰めて左足からシュート…の直前に相手DFの伸ばしてきた右足に当たったボールがゴールへ。日本先制!
前半40分には長いパスを受けたMF三苫薫(ブライトン)が左サイドからボックス内に侵入して右アウトサイドから中へ供給、そこに詰めたMF南野拓実(モナコ)が左足を振り抜き2点目。後半開始早々の4分、相手GKのミスキックからMF守田英正(スポルティング)が3点目を奪い、後半24分には途中出場のDF菅原由勢(サウサンプトン)がゴールネットを揺らして勝負あり、とした。
日本は9月にスタートした最終予選で5連勝。そのスコアはホームの中国戦7-0、アウェーのバーレン戦5-0、アウェーのサウジアラビア戦2-0、ホームのオーストラリア戦1-1、そして今回が4-0という充実ぶり。
これで同予選は折り返しとなる5戦目が終了した。残り5試合を残して各組を見渡すと首位に立った顔ぶれはA組がイラン、B組が韓国、C組が日本でいずれも4勝1分の勝ち点13となっている。が、日本の5試合19得点1失点、得失点差+18)は韓国の11得点4失点、イランの9得点3失点と比べて圧倒した数字となっていて、2位に勝ち点差7をつける独走状態だ。
熱戦の模様から
勝利をスタンドとともに喜ぶ日本代表、後方にインドネシアの選手たち
インドネシアの選手たちは満員のスタンドとともに高らかに歌い上げる
W杯アジア最終予選C組(第5節終了時点)
1位 日本 勝ち点13、4勝1分け0敗
2位 オーストラリア 勝ち点6、1勝3分け1敗
3位 サウジアラビア 勝ち点6、1勝3分け1敗
4位 中国 勝ち点6、2勝0分け3敗
5位 バーレーン 勝ち点5、1勝2分け2敗
6位 インドネシア 勝ち点3、0勝3分け2敗
<2026年W杯北中米3カ国大会アジア最終予選>18チームが3組(A、B、C)に分かれて各組の2位までが出場権を獲得する。また3、4位はプレーオフに回る。プレーオフでは6チームが2組に分かれ、各組1位が出場権を獲得する。また各組位同士で9位決定戦を行い、勝者が大陸間プレーオフに進む。このため最大9チームに出場権が与えられる。
さて、ここからはピッチとは少し離れた話題になる。ひろスポ!取材班は現地の熱狂的とも言える盛り上がりに圧倒された。聞けばこの日のチケットは発売2日で完売したという。7万8000人のキャパでも足りないのか?日本のバスはスタジアム到着と同時に大歓声で迎えられた。たくさんのスマホがSAMURAI BLUEに向けられる。森保ジャパンはそういう存在になっていた。
日本とインドネシアの関係は、今も昔も深い。「今」はこうしてサッカーでもつながっている。サッカーを通じて平和を希求する森保一監督も、この日のスタジアム風景をしかと目に焼き付けたはずだ。
「昔」は資源が両者を結び付けていた。「今」は正に「第三次世界大戦」の「戦前」だという声があるが、それは80数年前の、要するに「第二次世界大戦」の時の話だ。
その当時、日本は今のロシアのように自分たちから事を起こして(満州事変)、常任理事国として中心的役割を担っていた国際連盟を脱退(1933年)し、米国の禁輸措置によって鉄、石炭、石油、ゴム等の資源を確保できなくなった。
そのため東南アジアの資源確保に目を向けて(戦争に備え)1941年の真珠湾攻撃とほぼ同じタイミングでマレーシア、シンガポール、マニラに侵攻、占領した。その後、半年で東南アジアの国々を次々に制圧。インドネシアはそれまで350年間もオランダに植民支配されていたが、1942年2月にオランダ無条件降伏によってオランダの植民支配は終わり日本の支配下に入ったのである。
昭和、平成、そして令和…時は流れて「今」、両国は「資源」の中の「労働力」で深く結びついている。マツダスタジアムのキャパ3万3000人を超える在留資格外国人労働者がいる広島県では国別で見るとベトナム、中国、フィリピンの”3強”に続くのがインドネシアとなっている。
アジア各国地域のスタジアムを訪ねるたびに明治、大正時代からの広島サッカーの100年を超える歴史と、似島ドイツ軍捕虜たちの姿が、ひろスポ!取材班の心に蘇る。森保一監督もきっと同じ思いでいることだろう。そしてアジア各国地域をSAMURAI BLUEの風が吹き抜けるたびに、アジアの人々にとって日本の存在はより身近なものになっていく。(ひろスポ!広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
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