広島市の中心地、紙屋町あたりから北の方角を望む。青空の下、連なる山々ではあの日、特殊な雨雲がもたらしたゲリラ豪雨により、わずかのうちに次々と大規模な土砂崩れが発生し、未曾有の都市型大災害を現実のものとした。甚大な被害に際し行政の不手際や遅きに失した感のある避難勧告については厳しい声があがっており、被災地の住民の間にも「いまだにその責任があいまいなこと」に対して強い不満がくすぶっている。
広島の黒田博樹投手が2月22日、沖縄市のコザしんきんスタジアム屋内ブルペンで50球を投げたという。
前田健太との共演が初めて実現したこの日のブルペンは報道陣にとっては残念な「非公開」だったが、50球ということは2日前の76球より大幅に球数を減らしたことになる。
しかも前回、投球練習を終えたあと黒田は「日本では120、130球ということもあるので近いうちに100球近くは投げたい」と話していた。
前回、黒田がブルペン入りした2月20日は広島市内が未明の大規模土砂災害に襲われてからちょうど半年、となっていた。
広島市の複数の場所で戦後の都市災害としては「未曾有の被害」が報告され74人もの命が失われた、と報じられている。
だが、そのほかにも「活字にならない」命が実際、この日失われている。
黒田は誰に言われるともなく昨年10月、米国から戻るやいなや被災地に出向いて地域の人たちと一緒になって汗を流した。
そんな黒田があの日、投じた76球。それは、被災地の人たちと自分自身の絆を深め、もう一度「なぜ、自分はこの広島に戻ってきたのか」を確認するための崇高なる”儀式”だったのではないだろうか。
黒田博樹のこれまで、と、これからがカープナインの365日とともにわかる、
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