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2020年11月29日
編集部

戦後からの広島野球の雄、三菱重工広島75年の歴史にピリオド

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三菱重工
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    ダグ

  • レッドヘルメット

画像は画像は2018年3月、プロ野球開幕を前にマツダスタジアムで行われたプロアマ交流戦から。「M」が目立つ。

 

カープ二軍と対戦する全広島社会人チームの様子、「M」の文字が目立つ(2018年3月に撮影)

都市対抗野球2回戦(11月29日・東京ドーム)

日本新薬に5-2のスコアで敗れた三菱重工広島が創部75年の歴史にピリオドを打った。

三菱重工では3月に各地に4チームある硬式野球部の再編を発表。広島は名古屋とともに横浜、神戸・高砂の2チームに統合される。広島県内では三菱重工三原が2014年春をもって解散している。

広島野球は高校、社会人、プロの3つのカテゴリーで戦後、それぞれ幾多の名勝負を紡いできた。

昭和の時代に隆盛を極めた社会野球にあって三菱重工広島はその中心的存在だった。1946年に創部。都市対抗野球に17回出場。1979年には初出場初優勝した。日本選手権にも17回出場して最高成績は4強。

三菱重工広島OBで、監督としても都市対抗初出場初優勝の偉業を成し遂げた迫田守昭氏はその後、広島商と如水館を計6度、甲子園に導いた。

また2013年からヘッドコーチ、2015年から監督としてチームの最後を見届けた町田公二郎監督は広島東洋カープOB。広島県の高校野球、社会人野球、プロ野球の人材の行き来を有意義なものとして、同時に元近鉄の礒部公一氏らプロ野球にも多くの人材を送り込んできた。

緒方 町田
2018年プロアマ交流戦で。中央にカープの緒方孝市監督(当時)とかつてのカープの四番・町田公二郎監督

国内産業構造が急速に変化する中にあっては社会人チームから企業の手を離れクラブ化の道を歩むケースも含めて、チーム存続を巡る問題は今後も増えていくだろう。

広島社会人野球の歴史を後世に伝えるための仕組み作りが急がれる。

(ひろスポ!・広島スポーツ100年取材班)

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