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2021年12月22日
編集部

北別府、川口、佐々岡…カープ歴代ドラフト1位指名投手特異ケースの今村猛戦力外通告とチケット1時間で完売のCarp Legend Gameに関する考察

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長谷川
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画像は少年野球で”力投”する長谷川昌幸さん

 

 

広島から10月14日に戦力外通告を受けた今村猛投手(30)が12月22日、マツダスタジアムに松田元オーナーを訪ねた。現役引退の報告で、今後について本人は明確に語らなかった。

 

 

12月4日付の中国新聞一面に「Carp Legend Game 広島東洋カープOB紅白戦」開催の告知が掲載された。中国新聞創刊130周年記念、広島テレビ開局60周年とあった。主催はこの2社と広島東洋カープOB会。

 

 

長らくカープOBはマツダスタジアムのグラウンドに足を踏み入れることを、始球式などを除いて“禁じられて”きた。その“禁じ手”が解禁されたのはコロナ禍にあって広島球団も、広島球団と運命共同体の地元メディアも背に腹は代えられない状況に追い込まれたからだ。

 

 

ただ「Carp Legend Game」開催の本格的告知のタイミングが悪すぎた。古葉竹識さん逝去の知らせを広島球団が発表したのは11月16日で、球団は何のコメントを発表せず、HPでも何のリアクションも起こさなかった。カープOB唯一の日本一監督に対してそうであるのに、OBレジェンドゲームもないだろう。

 

 

このバランスの悪さはどこから来るのか?

 

 

また、そうであるからこそ多くのカープOBが無用の困難に直面している事実を大半のカープファンは知らない。

 

 

今村さんは2009年のドラフト1位で10年以上の実績がある。だが、現状ではそのまま球団にコーチやスタッフとして残ることはないだろうし、よくある地元放送局の解説の仕事もなさそうだ。

 

 

どうして“そんなことになった”のかは本人と球団幹部、その他周囲の人にしか分からない。表に出てこないそれなりの原因があった、と考えるのが普通かもしれない…

 

 

昭和40年、1965年に始まったドラフトで広島に1位指名された投手を見ていくと当然ながら今なおファンの目に触れる立場の人と“あの人は今”となった立場の人がいる。一軍で実績を残せないまま引退すれば後者となるケースが多い。だが今村さんは実績十分で、リーグ3連覇の勝ちパターンを一手に引き受けていた。

 

 

広島がドラフトで初めて投手を1位指名したのは1969年(昭和44年)で千葉剛(日鉱日立)。実績を残せない後者組だった。

 

 

1970年、大阪万博開催の年の佐伯和司(広陵高)は広島が初優勝した1975年に12完投。カープファンの中ではヒーローのひとりで引退後は球団スカウト、コーチを務めた。しかし2004年に突如として退職となった。広島球団の場合この「突如」というケースが非常に多い印象だ。

 

 

1972年の池谷公二郎(日本楽器)は今も地元局番組などで活躍中なので改めて説明する必要もない。1974年の堂園喜義(鹿児島商高)は一軍登板ゼロだった。この年のドラフト3位に高橋慶彦(城西高)。

 

 

それ以降でドラフト1位指名、自由枠、希望枠の顔ぶれを見ていくと…
1975年(昭和50年)北別府学(都城農高)
1977年田辺繁文(盈進高)
1978年木田勇(日本鋼管)
1979年片岡光宏(府中東高)
1980年川口和久(デゥプロ)
1981年津田恒美(協和発酵)
1983年川端順(法政大)
1984年杉本正志(箕島高)
1985年長冨浩志(NTT関東)
1986年栗田聡(三菱重工神戸)
1987年川島堅(東亜学園高)
1989年(平成元年)佐々岡真司(NTT中国)
1992年佐藤剛(本田技研)
1993年山根雅仁(岡山南高)
1994年山内泰幸(日本体育大)
1995年長谷川昌幸(市銚子高)
1996年澤崎俊和(青山学院大)
1997年遠藤竜志(NTT関東)
1999年河内貴哉(国学院久我山高)
2000年横松寿一(戸畑高)
2001年大竹寛(浦和学院高)
2002年永川勝浩(亜細亜大)
2004年佐藤剛士(秋田商高)
2006年前田健太(PL学園)、宮崎充登(ホンダ鈴鹿)
2007年篠田純平(日本大)
2009年今村猛(清峰高)
2010年福井優也(早稲田大)
2011年野村祐輔(明治大)
2013年大瀬良大地(九州共立大)
2015年岡田明丈(大阪商業大)
2016年加藤拓也(慶応義塾大)
2019年森下暢仁(明治大)
2020年栗林良吏(トヨタ自動車)

 

 

この中で、一軍実績を残しながら今はプロ野球関係の仕事に就いていないのが1995年の長谷川昌幸さん。引退後は自営業などを経て現在は大型スポーツ店にアドバイザーとしての看板を背負ってマツダスタジアムから歩いても行けるイオンモール広島府中内で勤務している。子どもたちへの野球の指導という、元カープ選手の経験を活かせるのが一番の強みでもあり、やりがいでもある。カープOBらで行う野球教室にも参加して、自らがマウンドに立ち投げる。現役時代は「身長3メートルのバッターなら今投げた快速球ストライク!」と揶揄されたが、今は子どもたちのゾーンにストライクを投げ込む。

 

 

一方、同じ高卒入団組では山根雅仁さん、河内貴哉さんのようにそのまま球団スタッフとして採用されるケース(正社員ではない)もある。大卒組の篠田純平さんもそうだ。

 

 

ということは、長谷川昌幸さんや今回の今村さんは実績組の中ではレアケースということになる。プロ野球の世界とは別の世界でこの先、どういう人生を歩むことになるのか?あるいはプロ野球の世界に立場を変えて携わる仕事に就けるのか?

 

 

同じく今季限りで現役を引退した日本ハム斎藤佑樹さんは「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げたことを自身のインスタグラムで発表し「会社を立ち上げるなんて甘いんじゃないかというご指摘もあるかもしれませんが、どこかに所属して面倒を見てもらうよりは、自分で自分の道を切り開いていくんだという気持ちで、まずは会社をつくってみようと思いました」と綴った。

 

 

自営業でファンやお客さんからの支持を得ているカープOBは広島県内外に複数存在するが、飲食関係がその中心でしかも自らが店に立つことが成功の条件と言っていい。

 

 

街中に輝くクリスマスのイルミネーションのもとでカープOBのみなさんも懸命に前を向き生きているという表現でまず間違いないだろう。発売開始からわずか1時間でチケット完売となったCarp Legend Gameを本当に開催するというのなら「カープOBの待遇改善の方が先」とこの場で訴えても、何の罰も当たらないはずだ。

 

この記事の冒頭で力投する長谷川昌幸さん。そのカープOB野球教室がマツダスタジアムではなく老朽化した「県営球場」で開催されること自体、その「現実」を如実に語っている。(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)

 

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(2021年12月4日掲載)

 

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