西川龍馬の決断の時迫る…かつては新井監督も悩みに悩んだ…画像はその当時の旧広島市民球場
西川龍馬の”決断の時“が迫ってきた。
ひろスポ!では関連記事の一発目(↓)の中で<結論から言えば、このあと何等かのタイミングで”龍馬オリックスへ”の見出しとともにFA移籍だろう。>と記した。広島がCSファイナルステージで敗退した翌日、10月21日付となっている。
新井カープ2年目に向け、絶対に必要な戦力確保に巻き返しを狙う球団側は「思った以上に良い条件」(西川)を提示した。交渉の行方はそこで表面上はストップしたままきょう11月10日週末を迎えた。FA宣言できる期間は11月14日(火)まで。
本人も驚くほどの好条件を目の当りにすれば、新たな環境で再出発できる可能性(FA権行使)への挑戦がグラつくのは当然だ。誰だって転校や転勤、転職、離婚・再婚!?には覚悟と決断を要する。鍛え抜かれたプロのアスリートであってもハートはナイーブ…
今季の広島は、規程打席到達者4人。
菊池485打席、114安打
秋山483打席、119安打
坂倉448打席、105安打
西川443打席(規程ジャスト)127安打
西川が安打数最多。
さらに8月の終わりには打率トップに浮上した西川には、おそらく“もっともっと高い数字を目指すことができる”という自負があるはず、だ。
敦賀気比から王子製紙に進んだ西川は瞬く間にショートとのポジションを確保して中軸を打つようになった。高卒でなかなかそうはいかない。相手は大のおとな。18、9の若僧がのし上がるのは大変なことだ。
そして広島の入団会見でも取材陣が驚くような“自信満々発言”を口にした。
「自分は大谷や藤浪と同い年ですが、(僕が)一番凄い選手だと思っています」
でも、今では誰もがそのバットコントロールに舌を巻く。
西川には“手本”がいる。ほかでもない、鈴木誠也だ。 SEIYA SUZUKI としてメジャーの大舞台でそのスケールをアップデートしている。自分を変えるのは自分自身(主体要因)、そして環境要因…
だから悩む。とことん悩む。
そのことを11月9日付中国新聞5面の「潮流」コラムが絶妙のタッチで”解説”している。
書いたのは特別編集委員の木村雅俊さん。新井貴浩監督、黒田博樹球団アドバイザーに最も近い人物と言っていいだろう。
ちなみに木村さんが出演中の中国放送「イマナマ!」の番組紹介を見ると、報道センター運動担当部長、ベストスコア76、スポーツ取材歴26年、とある。黒田アドバイザーのルーキーイヤーは1997年(新井監督は同1999年)だから完全にかぶっている。
このコラムの中で木村さんはFAについて「あまり好きになれない」とぼやいて?いる。長年、様々なカープナインを取材して、ファンのこと、選手のこと、いろいろ深みに落ちていくうちに遠ざけたいものいなった、それがFA関連取材…
そうやって綴っていけば「FAなんてなかったら良かったのに」と涙のFA会見に臨んだ当時の新井監督のことを書かない訳にはいかないからしっかり触れてはある。
だが、その真相はさすがに新聞紙面では書けない。
だから代わりにここに記す。
2004年、近鉄球団が消滅した球界再編は広島からも球団を消し去ろうとしていた。近鉄ナインがオリックスに吸収されたように新井監督らは福岡でダイエー(当時)と一緒になる運命にあった。
「たかが選手が…」の渡辺恒雄巨人オーナー(当時)の発言がなければジ・エンド、否C・エンドだった。
当時の広島の本拠地、旧広島市民球場は老朽化が激しく、スタンドにも閑古鳥。しかもチームは1998年以降、Bクラスが続いていた。
新井監督と黒田アドバイザーはともに”雑草魂“で叩き上げ、球界再編翌年の2005年には本塁打王”キング新井“の誕生となり、選手会長を兼ねた剛腕も最多勝。それでも山本浩二監督の第二次政権最終年になったその年は最下位に沈んだ。新たなに始まった交流戦でも歯が立たない試合が多かった。
だから新井監督は球団に”改革“のための意見を進言した。ところが返ってきた言葉は「嫌ならお前が辞めろ」だった、という。
「カープ村」ならありそうな話だ。球団の最終決定権は当然ながら松田元オーナーにある。
オブラートに包んだ感じで展開されていく木村さんのコラムの結びの方には「球団は昔より遥かに誠意を尽くし」とある。また「FA権を持つと悩みの種さえ分からなくなる」ともある。
新井監督の時もまったくいっしょ。「新井は何を悩んでいるのかが、分からなくなっている…」という声が確かにあの時も球団側から上がっていた。しかも毎日のように新井監督は番記者に囲まれていた。
新井監督のかつての兄貴分、金本知憲さんがFA権を獲得した2002年オフにもやはり大騒動になった。その当時は「FA宣言したら即移籍」というのが球団の方針。当然12球団の中でも極めて異質な対応だった。金本氏流出の悲劇と新井監督のケース、根はいっしょ。ただ、それもどこかのタイミングで「方針転換」を表明するでもなく、なし崩し的にFA宣言した選手も広島に戻ってくる道筋ができた。
要は「独裁オーナー」(デイリー新潮)のさじ加減ひとつ…
今回の西川の件もいっしょ。
なお、西川と同じく外野手で、リーグ3連覇の原動力となった丸佳浩の2018年オフのケースでは、正式な会見すら開かれなかった。マツダスタジアム選手出入り口駐車場のコンクリートの壁を背にして、カープファンに別れを告げる囲み取材…まさに冷たい仕打ち、となったのである。(ひろスポ!取材班&田辺一球)