二度目の赤いユニホーム、となる新井貴浩内野手が11月14日午前中に広島市のマツダスタジアムで入団記者会見を行った。
「まさかカープが帰ってこいと言っていただけると想像していなかった」
2007年11月8日。あの日、詰めかけた報道陣の前でも同じように11時をちょっと過ぎたころその時の”主役”は涙で言った。
「つらいです」
「カープが大好きなんで辛かったです」
「自分はカープにのこるだろうと、どこにも行かないだろうと、当分そういう風に考えていました」
「…でも僕は喜んで出て行く訳じゃない」
それから7年、阪神で四番も打ち、プロ野球選手会会長としても活躍したが、広島生まれ広島育ちの大きな体に刻み込まれたDNAにはやはり「赤い心」が宿っていた。
「最後は育ててもらったところで燃え尽きようと思った…」
推定年俸2000万円、そして背番号はあの昭和の鉄人、衣笠祥雄氏が「3」になる前の1965年から1974までつけていた「28」。黒田博樹の「15」はずっと誰もつけていないが、新井の「25」はすぐに“人手”に渡り、今はプロ2年目の高橋がつけている。
「鉄人28号」は悪のロボットやその組織と戦い”当時”の日本に平和をもたらしたが、平成の28番は衣笠氏と同じようにチームに優勝をもたらすことができるか?