田中 聡(たなか・さとし)専門学校・美術予備校で講師をするかたわら、広島を中心にイラストレーターとしても活動中。カープやサンフレッチェのイラストを中心に、日々のあれこれをブログに掲載しています。
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みなさんは、1968年のメキシコ五輪のことを、どれだけご存じでしょうか?
サッカーで日本が銅メダルを取った、あの奇跡の戦いの数々を…
率いるは長沼健監督、今の広島市中区出身、1930年生まれ。
1945年8月6日、今の広大付属中で学んでいた長沼さんは、前夜に防空当番があった関係でたまたま朝から自転車で市の北西部に向かっている途中で被爆しました。15歳の時です。
長沼さんが何とか無事たどりついたのは沼田地区。今、みなさんがサンフレッチェ広島の応援に駆けつけるエディオンスタジアム広島のある町です。
わずかの時間差で生きた命、一瞬に消えた命…
多くの友人、知り合いを亡くした長沼さんにとって、被爆から23年後の五輪銅メダルはどんな意味を持っていたでしょうか?
その時のメンバーには現広島県サッカー協会会長の小城得達さんら「広島7人衆」と呼ばれるつわものが揃っていて、その活躍なしには日本の躍進もあり得ませんでした。
広島が世界と渡り合った日々、広島最強伝説…
それからおよそ半世紀。
今度は広島での3年と半で紫の魂を宿し、そして広島の人たちの夢と希望と願いをその胸に仕舞い込んで世界に挑む浅野拓磨選手(アーセナル)が、リオデジャネイロ五輪のピッチに立ちます。オーバーエイジ枠のサンフレッチェ広島、塩谷司選手も一緒です。
目指すはもちろん「メキシコ以来」となるメダル。
23歳以下、浅野拓磨選手が生まれたのは1994年、長沼さんが日本サッカー協会会長に就任した年でもあります。以来、Jリーグの成長や日本人選手の海外進出により日本サッカーは大きな進化を遂げました。
広島の歴史が紡ぐサッカー物語。
天国で長沼さんが見守る中、いよいよ手倉森ジャパンが世界を相手にキックオフの時を迎えます。
お知らせ
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