広島、楽天で17年間現役を続けた栗原健太
楽天の栗原健太内野手(34)が現役引退の方向であることが9月27日、分かった。すでに3年連続のBクラスが確定している楽天は、チームの若返りに向け栗原ら数名を来季の構想から外す方針の模様。
昨季オフ、楽天の入団テストを受けて新天地に活路を求めた栗原だったが一軍に呼ばれることのないまま静かにバットを置くことになる。
栗原は1999年ドラフト3位で広島に入団。7年目の2006年に初めて一軍で100試合以上に出場して、その後は「四番・新井」の背中を見て育った。
新井貴浩が2007年オフ、阪神に移籍すると、同時に黒田も抜けたチームの中で2008年からは四番を打った。
マーティー・ブラウン監督の3年目のシーズンとなった2008年は、旧広島市民球場ラストイヤーとも重なった。そして9月28日のヤクルト戦、旧広島市民球場での最終戦では先発した前田健太やアレックスに続いて、旧広島市民球場の歴史を締めくくるホームランをレフトスタンドに叩き込んだ。
この年、3位・中日に2ゲーム差で惜しくも初のクライマックスシリーズ出場を逃した栗原は2009年から新球場、マツダスタジアムでも「四番」に座った。
2009年のシーズンにはマツダスタジアムでオールスターゲームが開催され栗原もその舞台に立った。そしてこのシーズンを最後に緒方監督が引退した。
栗原は「一振りで局面を変えることのできるバッティング」を目指し、四番を打つことに意地とプライドを持って臨んでいた。ただ、2009年のオフ、4年契約を結んだあと右肘のクリーニング手術を行ったことでその後の野球人生は大きく変わった。
「右手を押し込むこと」で打球を飛ばすのが栗原の打撃スタイルの生命線だった。その「押し込み」がさっぱり効かなくなっていった。
「コンディションは良くなっている」
2年連続で一軍出場ゼロとなった2015年オフ、自身の復活を信じて楽天のユニホームに袖を通した栗原だったが、その思いを結果に結び付けることは残念ながらできなかった。
だが、自身のブログのタイトルにもあるように、広島時代につけられたニックネーム「KONG」は不死身のはずで、バットを握らなくとも大丈夫!
その温厚で深みのある人柄は、おそらく指導者向きだろう。また野球界以外でもその力を発揮できる可能性は大。広島時代には、地元放送局の夕方ニュース生番組で「スポーツキャスター」をやった経験もある。
34歳での引退となればまだ早過ぎる、との声も多かろうがどのみちプロ野球選手は第2の人生の方が長い。「広島で人生の半分以上を過ごした」という栗原だけに、今後は広島と関わりも含めて、プロ野球ファンと接していくことになるかもしれない。