広島市に住む私にとって、バレーボールをすることや見ること、国際大会を広島市内で見ることは、当たり前だった。
Vプレミアリーグ前身の日本リーグ・専売広島の試合は、小学校低学年の時から見ていたし。
そんな私にとって、バレーボールをプレーする人の周りで動いている人もまた、身近な存在であった。
みな、自分の責務に忠実で、真摯で、礼儀正しい。
コートサポート1つにしても、何故それをキチンと行うことが大切かを理解させ、それをどうやって実践するのかの技術を身につける。
プレーも大事だが、質の高いバレーボールを目の前で展開してもらえる一役を担うことが出来ることは、きっと、自分たちのバレーボールを楽しむ・質を引き上げる時に役立つことだろう。
広島で試合がある時には観戦にいく、というスタイルから、JTサンダーズの観戦のために各地に遠征するようになったのは、実はつい最近のことだ。
約5年前、JTサンダーズは、大卒の期待の大物ルーキー・八子大輔が入団したにも関わらず、チャレンジマッチに行くことになった。居ても立っても居られず、夜行バスで大和市まで駆けつけた。
広島以外の土地でバレーボール観戦をするようになって、プレーをしている選手、観戦している自分たち、の、周りでたくさんの人のサポートや気遣いがあることに気づくようになった。
広島に住んでいると当たり前に提供されていたことが、他の土地では当たり前でない、と言うことがわかった。
同時に、猫田勝敏さんを輩出した広島が、どれだけバレーボールを大切に育んできたのかを、思い知らされた。
広島のバレーボールの歴史を、ありがたいものだと、改めて感じた。
和歌山大会でイライラしてしまったのは、JTの試合運びにだけではない。主審右手側のエンドのボールボーイの動きが不適切なのだ。
越川さんは、サーブに入る時のルーチンがある。コートからサーブに向かって出て行く時には、肘や足のサポーターを直しながら集中力を高めている。
そして、さあ行こう!となったところで初めてボールを要求する。
それを、まだ集中力を高めている(ボールボーイの方を見てない)時に、ボールを勝手に越川さんに向かって投げてしまうのだ。
主審から左手側のボールボーイは、1回ボールを断ったらそこからキチンと学び、次からは要求されたらボールを出すようになっていた。
右手側のボールボーイは、最後まで同じだった。
それだけではなくて、右手側のボールボーイは、筧本さんがサーブを打とうとして位置を下がっている途中に、選手の後ろにボールを転がしてボールを移動させた!
もう!これには、ヒヤヒヤして、危ないし、筧本さんがケガでもしたらどうするん!と、怒りさえ感じた。彼らを指導している指導者が未熟なんだろう。
モップ掛けやタオル係にしてもそう。試合中のテクニカルタイムアウト時のモップ掛けは時間も短く、キビキビと動かないと、コート内を拭くだけで終わってしまう。
広島では、時間内に必ず、コートエンドのサーブ打つ辺りまでしっかりとモップ掛けが行き届く。タオル係も、呼ばれることを予測していつでもコート内に走っていけるように待機し、拭いた後も拭き残しがないか目で確認している。広島はレベルが高い。
和歌山大会では、タオル係の子がちゃちゃっと拭いて下がってしまい、越川さんが、まだ!と自分で拭いている場面が多く見られた。あれでは、競っている場面で、集中力が削がれてしまうだろう。
応援にしても、応援団長を置き、エールを送り合うやり方のバレーボールの応援はかなり古風で、だが礼儀正しい。
昨今は、相手がポイントを取った時に鳴物を鳴らし「頑張れ」コールをするのが当たり前になってしまったが、JTサンダーズ応援団だけは良き伝統を守り、それをやらない。
以前は、相手のサーブミスでの得点の際も、やっていなかったが、それだと、相手の「頑張れ」コールも含めると相手の応援団の声ばかり聞こえるので、最近は時代の流れに譲歩して、やっているが。
広島県バレーボール協会には、元JTで元全日本代表の、下村英士さんがおられる。元全日本代表選手が、地方のバレーボール協会で仕事をしているのは、下村さんだけだそう。広島のバレーボールの歴史は、受け継がれるべきだ。
その頂点で、JTサンダーズは、トップリーグにいることが必要だ。
揺らがぬ矜持を持つことは、精神的な支柱を持つということ。
メンタルの強さに繋がると信じる。
頑張れ!広島!
頑張れ!バレーボールに関わる全ての人!
頑張れ!JTサンダーズ!
(ちゃこ)