広島市南区で中華料理店「華楽飯店」を営む「はるさん」(ハンドルネーム)が広島市内の書店でふと手にした一冊は、極めて貴重な発見になった可能性がある。
戦後広島の”復興のシンボル”となった「わしらがカープ」の息吹をそのまま伝える記事内容と、その行間から伝わってくる熱い思い…。
「月刊CARP」「40円」…。
しかも雑誌の発刊スタートは昭和32年(1957年)、廃墟の町に誕生した新球団、待望の新スタジアム、ナイター照明完備の「広島市民球場」誕生の年と重なっている。
いや、もしかしたらどこかにまとめて保管してあるかもしれない?
はるさんの疑問に応えるため、ひろスポ!取材班では「カープ関連書籍」の展示などでも知られる広島県立図書館(広島市中区千田町)を訪ねてみた。しかし雑誌名や出版所名で検索しても「該当なし」。それならば、と今度はカープに関連する”お宝”など資料の収集を進めている広島市の公文書館(広島市中区大手町)に電話してみたがこちらも「そのような雑誌はございません」。
そこで今度は広島市在住のライター・西本恵さんに電話で聞いてみた。
「…というわけで、今、スマホでご覧いただいている月刊CARPをご存知ですか?」
「表紙を見たのは初めてです。実は、長谷川良平さんのことが書かれたこの雑誌の記事のコピーは持っております。今度、ぜひ拝読させてください」
「そうですか、しかしコピーをお持ちとはさすがですね、ありがとうございました」
これでますますその存在が希少なものである可能性が高くなってきた。西本さんは「広島カープ昔話・裏話~じゃけぇカープが好きなんよ~」(トーク出版)、漫画家モモンガさんの手による「広島カープ物語」(トーク出版)の著書としても知られるカープ歴史通。それでも「表紙を見たのは初めて」。
残念ながら表紙を飾っている大和田明さんはすでにお亡くなりになられており、もう当時のことを記憶しているOBもあまりいない可能性がある。
今、手元に残されているのは、その裏表紙に記された「発行所 カープ通信社 広島市鷹匠町一三六」の住所ぐらい。
そこでひろスポ!取材班では復興地図を参考に「鷹匠町」と書かれたあたりを訪ねてみた。でも目に入るのは「本川町」、「十日市町」などのいつもの町名ばかり。戦後すぐの地図では空地だらけだった一帯もご覧のとおり、完全に都市化。これじゃ「鷹」の一羽も…、と諦めかけて見上げたビルの壁に、いた、じゃなくてあった「鷹」…。
このビルから広島市民球場跡地まで徒歩でおよそ10分、いや7、8分か?
そんなことを思いつつあたりを見回すとすぐそばにお寺を発見。
「清住寺」(広島市中区本川町)。呼び鈴を押すと中から出てこられたご住職が快く取材に応じてくださった。
「このあたりにオートバイ屋さんですか?うーん、私はもうずっとここに住んでおりますが、オートバイ屋さんの記憶は…、ないですねぇ」
残念、「鷹匠」の文字までは発見できたが、この先に進むにはかなりのリサーチや調査が必要かも?
月刊CARPの裏表紙にある広島ライラック株式会社の住所と雑誌発行所の「カープ通信社」の住所はまったく同じ。戦後の爪痕があちこちに残るこの町で、夢と希望を胸にカープナインに熱い思いを託した当時の人たちの、その中のあるひとつの物語…。
でも、今回の「なんでも探偵団」はこのあたりで幕引きということに…。
すべてを明かすより、もうしばらくこの一冊を手に思いを巡らせる方が幸せな時間になりそうで、あのカープ初優勝の昭和50年から来年でちょうど40年。
時間の経過は未来に向かって加速する。当時を伝える媒体がその歩みを少しだけ遅らせてくれる。
広島はそして来年、被爆70周年を迎える。
清済寺の石灯籠や敷石は被爆したものが今もそのまま使われ、同じく被爆した植物もその周辺に今なお息づいている。
爆心地よりわずか530メートル。この風景はあの瞬間、どんな歪みの中にその色も形も封じ込まれていったのか?
広島に生まれ、広島市民・県民とともに大きく育っていった世界でただひとつの被爆地に本拠地を構えるプロ球団。地方から中央へ挑み続ける熱き魂。
今、話題のカープ女子と昭和のカープ女子がこの一冊を間に向き合えば、果たしてどんな会話が聞こえてくるのだろうか?
連載1 すっゴイ!発見!!か?戦後間もなくのカープ女子も愛読した!?カープ本の元祖、昭和30年代の女子入浴画像も…
連載2 戦後間もなくのカープ女子も愛読した!?カープ本の元祖は、被爆の惨禍から立ち上る市民の希望の光を映し出す…
取材・ひろスポ!なんでも探偵団
構成・田辺一球
取材協力・華楽飯店(電話082・261・8882)
清住寺(せいじゅうじ)
お知らせ
広島野球ブックフェア開催 2014年7月12日(土)、13日(日)、午前11時から午後7時
会場 旧広島市民球場跡地、入場無料
www.yakyubook.com/#