雑誌名は「月刊CARP」。 広島市南区で中華料理を経営する傍ら、街中に眠る?カープお宝グッズなどに目を光らせている「はるさん」(ハンドルネーム)がたまたま目にした一冊は、昭和32年の広島市民球場完成の年に出版開始となっていた。
表紙には「5月下旬号」の赤い文字
背表紙には「昭和三十四年五月十五日発行 第三巻第5号 毎月一回発行」の文字。
さらには「発行兼編集人 大前利郎」「発行所 カープ通信社」「広島市鷹匠町一三六」
何度もページをめくるうちにはるさんは、また腰が抜けるほど!?驚いた。
よくみると広告の住所と発行所の住所はまったく一緒…
ライラック号なら聞いたことがある。今でも愛好者の間では人気の伝説のバイク。戦後まもなくから1960年代終わりにかけて静岡県浜松市で生産されていた。
広島ライラック株式会社?
ネットで検索してみたが当然、何のデータも出てこない。知り合いに聞いて回ると、広島市中区十日市に住む年配者が「そんなバイク屋があったように記憶している」と貴重な情報を教えてくれた。
想像するに、発行元は別会社でオートバイ販売を行いながら、夢の新球場竣工に合わせてこの月刊誌をスタートさせた、ということになるのではないか。しかもその場所は旧市民球場から徒歩10分もかからない十日市町界隈。
はるさんはバイクを飛ばして復刻地図で有名な広島市南区皆実町のあき書房へまっしぐら。店先に貼ってある戦前戦後の地図を調べてみると…
あった!
鷹匠町。
やはり予想通りだった。
「復興事務所」とある現在の広島市民球場跡地から広島電鉄のライトレールに乗車して、宮島方面(地図では左方向)へ向かい相生橋を渡ってふたつめの電停が「十日市町」、ひとつめの電停が「本川町」。
相生橋を渡ってすぐのところに「鷹匠町」の表記があり、そのほかにも「原爆中心地」や見慣れた「商工会議所」の名称も確認できる。
しかしこの地図にはまだ「広島市民球場」の名前はない。
あき書房の石踊一則代表(上画像)は、戦前の地図も気軽に見せてくれた。
わかりにくいが「鷹」「匠」「町」の文字もある。文字がバラけているのはそれだけ町に賑わいがあるから。戦後の地図には空白が多すぎる…。
それでも戦後の地図上にある「復興」「電気」「電業」などの文字が人類初の核攻撃の惨禍から立ち上がろうとする市民の息遣いを今に伝える。
そして復興への希望の灯となる「広島市民球場」の名称と、「わしらがカープ」の思いとが、空白のひとつとその隅々をやがて埋めていくことになるのである。(またまた、つづく)
取材・ひろスポ!なんでも探偵団
構成・田辺一球
取材協力・あき書房(電話082・255・1916)
www.geocities.jp/akisyobo/
華楽飯店(電話082・261・8882)
お知らせ
広島野球ブックフェア開催 2014年7月12日(土)、13日(日)、午前11時から午後7時
会場 旧広島市民球場跡地、入場無料
www.yakyubook.com/#