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2020年09月17日
編集部

あの時、黒田博樹も右肘のクリーニング手術を受けた…責任感の強い大瀬良もその剛腕とともにまたきっと戻ってくる

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大瀬良
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画像は開幕前の大瀬良

 

広島の大瀬良大地が右肘の手術を受けた。

球団から発表された手術名は「右肘関節鏡視下遊離体摘出と骨棘切除、滑膜切除」

もう少しわかりやすく言うと…

肘の側方などに6ミリ程度の小切開(小さな穴)を3、4カ所作り、そこに関節鏡を入れ、他の切開部から手術器具を入れる。関節鏡で内部を探りその様子をテレビモニターでチェック。モニターを見ながら痛みや、ひっかかりの原因となっている骨片などを取り除く。さらに、高周波電気メスで肘関節内に増殖した異常骨膜も除去する。

広島のエースと言えば現監督の佐々岡真司。そのバトンを受けたのが黒田博樹。

大瀬良は黒田の背中を見て育った。

メジャー挑戦以前の黒田は、四番を打つ新井貴浩とチームを引っ張った。優勝はおろかAクラスも遠い状況が続く中、あるいは球界再編の嵐(2004年)が吹き荒れる中、強い責任感を胸に投げ続け、そして2006年11月6日、「夢はカープで優勝すること」と”男気”残留宣言。

ただ、重圧を一身に背負って投げ続けたことで右肘が悲鳴を上げていた。11月12日には米国ロサンゼルスへ出発。クリーニング手術を受けた。

 

一部、報道にもあるが今回の大瀬良もまた、かなり早い時期から右肘に違和感が生じていたようだ。しかし、佐々岡新監督やチームメイトやカープファンの期待を背負っているから黒田と同じようにマウンドに立ち続けようとした。

開幕から2試合連続の完投勝利。きっと、右肘に負担をかけないよう、様々な準備と工夫を重ねていたのだろう。

しかし登板回数が増えれば、しだいにからだ全体の筋力も低下するし、疲労が蓄積すれば柔軟性もなくなってくる。2度目の登録抹消前には、150キロの真っすぐを操る本来の姿とはほど遠い状況になっていた。

が、逆にそうならなければ、まだ大瀬良は無理を重ねていたかもしれない。

 

黒田は2007年3月4日、広島市民球場のマウンドに戻ってきた。楽天とのオープン戦でバットを真っ二つにへし折る剛球を披露。「しっかりした真っすぐを投げられるか不安はあったけど、腕をしっかり振れました」とコメントした。

 

2016年のリーグ優勝を手土産にしてユニホームを脱いだ黒田のあとを受け、大瀬良は17年10勝、18年15勝、19年11勝。

クライマックスシリーズのない今季、投げ続けてきた大瀬良に”少し休もうよ”という声が聴こえてきた、と理解した方がいいかも…

広島が「日本一」になるためには大瀬良の剛腕が欠かせない。あの時の黒田のように、また高い志でマウンドに立つ姿をみんなが待っている。(ひろスポ!・田辺一球)

※この記事は「携帯サイト・田辺一球広島魂、をもとに再構成しました。

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