親子でA代表入り、を知らされ「驚いた」という前川和也さん(画像はひろスポ!資料写真より)
日本サッカー協会は3月18日、親善試合の韓国戦とW杯アジア2次予選モンゴル戦に臨む日本代表23名を発表した。
森保一監督の下に初招集されたフル代表メンバーは8名。GK前川薫也(ヴィッセル神戸)も名を連ねた。
前川薫也は広島皆実高から関西大を経て2017年、ヴィッセル神戸に加入した。191センチの長身は父親譲り。フィジカルで国際レベルに適応できる数少ない素材として注目されている。
その父親はサンフレッチェ広島初代メンバーのGK前川和也さん。今もサッカーへの情熱は衰えることを知らず、広島県福山市にあるFCバイエルン ツネイシ総監督兼U-18監督として活躍中だ。
1992~96年まで、ちょうどサンフレッチェ広島の創生期に日本代表として活躍した。チームでも代表でも一緒だった森保監督は同じ長崎県出身の1学年後輩に当たる。
広島ビッグアーチ(広島広域公園陸上競技場、現エディオンスタジアム広島)のこけら落しとなった1992年秋の第10回アジア杯決勝でゴールを守り1-0でサウジアラビアを振り切り初優勝を掴み取った。決勝点もやはり長崎出身でサンフレッチェ広島の高木琢也(2020年12月、大宮アルディージャ監督退任)で、「アジアの大砲」の記憶も今なお鮮明だ。
「忘れられない記憶」はまだある。今の森保ジャパンの原動力になっているあの「ドーハの悲劇」。2022年W杯は、そのドーハを中心としたカタール各都市で開催される。オイルマネーなどで新築される7つのスタジアムはその威容をすでに表しつつある。
1993年10月、米国W杯アジア地区最終予選の舞台、カタールに乗り込んだ日本代表。灼熱の砂漠の街は飛行機を降りた途端、かけているサングラスがすぐに曇るほどの高温多湿で、激戦の地での死闘は容易に予想できた。
同宿になった韓国代表はバイキングスタイルのホテル特別ルームでの食欲も旺盛だった。しかし日本代表はその半分も食べられていなかったかもしれない。過酷な環境、極度の重圧が体力を奪っていたからだ。
日本代表の守護神は松永成立。サブに回った和也さんは全体練習の合間に宿舎を飛び出し、周辺を走って出番に備えた。そして迎えたグループ最終戦で、イラクのショートコーナーから放たれた同点ゴールが、松永の頭上をスローモーションで越えて行くのをピッチの上に倒れ込む森保監督らとともにベンチで見届けた。
あれから次世代へとバトンが渡るだけの時間が過ぎた。
あのロスタイムを共有した選手の多くは日本サッカーを指導する立場になり、そのDNAが刻み込まれた次世代がまたW杯の大舞台を目指す。前川親子のA代表選出はJリーグ発足以降で初となる。GKという特殊なポジションの強化が、日本の目指す悲願のW杯ベスト8入りに欠かせないことも周知の通り…
森保監督が目指す日本代表のあるべき姿の根底には「日本人らしさ」がある。個を重んじ、個のレベルを限界点まで引き上げ、そこから組織としての機能を攻守両面で追求する、そうした「規律」を守るのが日本の良さ、という考え方だ。
実は最初に森保監督がそのことを学んだのが、高校を出て単身広島にやってきた時に出会ったハンス・オフト氏(当時はマツダSCコーチ)であり、のちにドーハの悲劇を共有する。「規律」が合言葉の初代サンフレッチェ広島監督、スチュアート・バクスター氏もそう。このエピソードは和也さんにも共通する。
前川薫也代表入りのニュースで多くのメールが殺到した和也さんは次のようにコメントして森保ジャパンにエールを送る。
「今、いろいろと立て込んでいます(笑)。関わっていただいたみなさんのおかげです。神戸でまだそこまで試合に出ていませんから選出は驚きでした。選ばれたからには期待に応えられるよう頑張って欲しいですね」
(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
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