穏やかな瀬戸内海を小型船が通過する。独特のエンジン音がグラウンドまで響いてくる。もう20年以上も目にする風景と耳にする音と。ただひとつだけ違っていたのは、初めてその左腕にギプスが施されていたことだった。
再び訪れた静寂の中、ひとり黙々と走り続ける。左手首の術後すでに1カ月が経とうとしていた。当初の予想では患部の固定に3週間。本格的な練習まで2、3カ月。それが伸び伸びになってはいかないか?本当のところはどうなのか?これまで何度もこの場所で、ひとりではい上がってきた。そして今度も…。
あの時も5月の柔らかい陽射しが車内へ降り注いでいた。左手にJR山陽本線、右は広電宮島線。大野合宿所から5分も走れば宮島線の先に光る瀬戸内海が見えてくる。視界が急に開けたあたりで、ハンドルを握る松井隆昌 が助手席へとも後部座席へとも分からないような口調で言った。
「前田はホークスが良かったんだよなぁ。大人の世界の汚さに嫌気がさしたんだろ?」
もちろん前田がそれに応えるはずもなく、黙って窓の外を眺めていた。ただ同じ九州出身の先輩が隣にいるせいか、いつものような厳しい表情を見せることはなかった。
車内でスポーツ新聞を開く。ウエスタン・リーグの試合結果を目で追ってみた。二軍の外野陣には、浅井樹、千代丸亮彦、石橋文雄、仁平馨らが名を連ねていた。助手席に座る前田は20歳の誕生日を1カ月後に控えて、すでに「一番センター」でレギュラーの座をつかみかけていた。
4月6日の開幕戦。いきなり広島市民球場右中間スタンドに叩き込んだ。史上初の開幕戦先頭打者プロ1号アーチ。この一発は衝撃的だった。前年のオフ、トレードでチームをあとにした長嶋清幸に続いて、大型トレードで前年に移籍してきたばかりの高沢秀昭の居場所さえもまた狭まりつつあった。
プロ2年目の背番号51は寡黙なままでも強烈なインパクトを周囲に与え続けていた。アレン、山崎隆造、西田真二、音重鎮…。27歳の音以外、外野の主力はみな30代。「あいさつしないから先輩に一発やられた」とか「前田のバットがいつの間にかなくなっていた」というような話まで耳にした。ただ前田本人が黙っていたから真偽のほどは定かでなかった。
前田はそのあともあまりしゃべらず、松井の鼻歌だけが車内に響いた。ふと気がつくと車はもう広島市街地を駆け抜け三篠寮のすぐそばまで来ていた。
(つづく)