トップ画像は臨海副都心のシンボルプロムナード公園東端にある石と光の広場で来訪者を出迎えるミライトワとソメイティ
東京五輪が終わった。
国内外メディアがコロナ禍の真夏のスポーツの祭典をどう報じるか?
キーワードはいくらでもある。
復興五輪、United by Emotion、相次ぐ辞任、いじめや大量虐殺への無知無秩序、医療崩壊、ボランティアの力、日本人の底力と優しさ…
限られた行数でどう表現するか?
8月9日付各紙にさっと目を通してみたが、なかなかうまくまとめられてはいないようだ。そんな中、スポニチの「本紙特別編集委員・藤山健二」氏、「スポーツライター・金子達仁」氏のダブル総括が、閉会式までの大騒動をわかりやすく、しかも感情移入しやすい文面でまとめている。
かつて、一緒に五輪取材させてもらったこともある藤山氏は百戦錬磨で、五輪の裏表も知り尽くしている。
藤山氏は「五輪が開催できたのは、多くの国民の忍耐と協力があったからこそだ」としている。金子氏は「スケートボーダーの”ボーダーレス”」の見出しでスポ―ツの本質と国家間のメダル争いにスポットを当てている。
<厳戒下の祭典で>を連載している毎日新聞の閉会式にまつわる1日の総力取材も深みがあった。いくらでも取材対象はあるが、どこをチョイスして読者に何を届けるか?明確な意思が見えた。
メディアの伝える東京2020は、どこまで真の姿に迫れたのか?
初めて日本に来た人、東京を知り尽くした人、日本に親しみを感じていなかったけど、いざ来てみると驚きの連続だった人、巨大都市の夜景に圧倒された人、コンビニや駅、売店、トイレのディテールにショック?を受けた人…
取材者たちがそれをどう伝え、どうそれぞれの国や地域へ持ち帰るか?
ひとつ言えるのはたぶん「また来たい、今度は出会いも街歩きも自由な時のTOKYOへ」とそう考える人がたくさんいるのでは?ということ…
一方で、日本人と中国人を言い間違え、原爆と原発も読み間違えた権威者たちの指示の下、この大会を成功させるために警察力、自衛隊、医療関係者も含めて大量の人員と時間が投じられ、強行突破するその姿もメディアの前に晒された。
2019年11月、マラソン開催地が札幌に変更された時点でもう何でもあり!延期となってさらに無駄も無秩序も無理解もお構いなし、が加速した。大量の弁当類が廃棄されたって、そんなこと闇から闇に葬ればいい。(実際はバレた)
バッハ会長がわざわざ原爆慰霊碑を訪れた広島からは8月6日の広島原爆投下時間(8時15分)に合わせての黙とうを願う声が上がった。でも、さらなる事務的負担や選手に対する調整はもう勘弁…とでも言いたげであり、バッハ会長がぜひ、やりましょう、と言わない限りそうはならないのである。
スタジアム通りを国立競技場正面へ向かうとゲートがある、デモなどがあるたびにメディア以外は途中の任意の位置(変化する)から近づけなくなる
お馴染みの五輪モニュメント、予告なしにここへのルートは遮断される
最後のゲートには自衛隊員
正面から左手に取り、遮断用のフェンスに沿って歩くと外苑西通りでこの1枚が撮れる場所はある
サッカーの森保ジャパンが3位決定戦に敗れた8月6日、午後10時過ぎの渋谷、五輪の熱気はないが人の流れは多い
国立競技場の周辺では大会期間中、様々な出来事があった。デモ隊、補助席付き自転車で見学に来た親子連れや近所の住民のみなさん、都内外からの訪問者、IDカードを下げた取材陣、警察、自衛隊などが”入り乱れ”て「立ち入り禁止」区域の広さがその時々で素早く変化する。
早朝7時でもあの五輪モニュメントに行けない日もあれば、午後4時以降は「メディア以外近寄れません」という日もあった。モニュメントまでは行けたとしてもも高い塀の向こうの国立競技場はよく見えない。
「近くて遠い東京五輪」その姿勢だけは大会期間中、ずっと変わらなかった。
ほとんどが無観客になり、そして競技場以外でのパブリックビューイングなど野外イベントも全国的に中止になった。東京五輪がどんどん遠いものになるのも当然だ。
もし、コロナがなければ渋谷も新宿も国内外から殺到する人々で大賑わい、というかハメを外した大騒ぎだったはずだ。だが、子どもたちにとっては当初、1日最大10万人が訪れると予想されていた臨海副都心地区が一番楽しみな場所だった。
そこにはバレーボール、体操競技、テニス、スケートボードなど13競技の会場がある。まさに夢のような空間だったが、本当に夢のまま、その役目を終えてしまった。
東京都などでは観戦ガイドとして様々な冊子、パンフレットを用意してきた。その中に「海上公園ガイド2021」というのがある。当然、各種公園の魅力が紹介されている。が、実際にその中の一つ、トライアスロンとマラソンスイミング会場のお台場海浜公園を訪れても高い壁で仕切られた先の五輪会場は見ることもできない。苦労して狭い隙間からやっとあの海上に浮かぶ五輪マークが撮影できるだけだ。
ゆりかもめ、お台場海浜公園駅、左奥「Galaxy」ポスターのサムスン電子は東京五輪スポンサー最上位のTOPスポンサーでIOCと契約する、TOPスポンサー世界14社の中で恐らく街中で一番よく目にするのが「Galaxy」
日常空間と五輪空間を遮断するフェンスのせいで「公園」ムード台無し、いるのは警察官(フェンス前)だけ、画像奥がトライアスロン会場
お台場で狭い空間から苦労して撮影できるのはこの一枚だけ
(加筆)東京五輪を盛り上げようとお台場海浜公園海上に設置されていた巨大シンボルマークは五輪閉会式翌日の11日、撤去された。24日開幕のパラリンピックシンボルマークが入れ替わりで設置される。高さおよそ15メートル、幅およそ33メートルのシンボルマークは解体され、素材はリサイクルされる。
フジテレビ社屋のすぐ横を進みセントラル広場を左折。そこからは公園と遊歩道と各種施設によって創出された空間、シンボルプロムナード公園がおよそ2キロ続く。その手前には3×3バスケットボールとスポーツクライミングの青梅アーバンスポーツパークもある。
そして公園内中央のセンタープロムナードを進むと夢の大橋。そこには、国立競技場と同じく太陽をモチーフとしたデザインの聖火台(3分の1サイズ)に聖火が灯っていた。このあたりにもスポンサーの出店など様々な演出によってにぎやかな毎日が想定されていた。
8月9日、閉会式当日の都内は早朝から雨。それでもミニサイズ聖火台にはたくさんの人たちがやって来た。ここでも自転車が活躍する。広大な敷地を見て回ろうと思えば歩き、はかなりきつい。
シンボルプロムナード公園西端の南徒歩5分圏内には取材陣の前線基地、東京ビッグサイトに開設されたメインプレスセンターがある。
取材陣が一般の人と1メートル以内の距離になることもあるだろう。付近のカフェでは海外の取材者らが普通にお客の中に混じってモーニングを食べている。逆に言えばまさに五輪らしい風景がそこにはある。
今回の五輪に一番足りないのが「交流」だ。リモートでは伝わりきれないものがある。
シンボルプロムナード公園東端の石と光の広場では、あのミライトワとソメティが仲良く並んで来訪者を出迎えている。大会期間中、会場でも街中でも姿を見る機会の少なかったふたりだが、子どもたちはその姿を見てみんな笑顔になる。りんかい線の国際展示場駅とゆりかもめ有明駅に近い場所だから、ここが夢の扉になっていた。
シンボルプロムナード公園西端、ミライトワとソメイティが仲良く並んで来訪者を出迎える場所にはシティボランティアが配置されて、気軽に公園内施設の案内ほか訪問者にガイドをしてくれる。連日の暑さの中、たいへんな日々が続いたであろうことは容易に想像できる。
8月7日午前7時撮影の青梅アーバンスポーツパーク、目隠しの遮断壁は外され、前日までスポーツクライミングでヒートアップしていた会場の様子が確認できる
シンボルプロムナード公園を西から東へ進み、来た道を振り帰った風景、人通りはごくわずか(8月7日午前7時20分撮影)
夢の大橋に置かれた聖火台(閉会式終了をもって撤去)
聖火台をバックに海外スポーツチャンネルのリポートが始まった
MPC(メーンプレスセンター)とIBC(国際放送センター)が入る東京ビッグサイト
東京ビッグサイト前で記念撮影する海外関係者
ボランティア・フィールドキャストのユニホームは年代、性別、国籍を問わず着やすいデザインになっており、ポロシャツ、パンツとも暑さ対策も施されている、シューズも通気性を高め作業に必要な安全性などが確保されている
こういう着こなしもできる
シティキャストのおふたり
石と光の広場そばにあるパナソニッククリエイティブミュージアム アケルエ壁面の大坂なおみ選手、無観客大会になったことで恐らく入場者数は予想を遥かに下回ったはず…
石と光の広場に近いりんかい線の国際展示場駅前に設けられた五輪専用バス停、8月8日午前8時30分ごろ撮影、ボランティア担当者もすでに張り付いている
便数は…少ない
ミストの中を国際展示場駅に向かう人々
そこから東西に走る首都高速湾岸線をまたいでテニス会場の有明テニスの森公園まで近道のコロシアムブリッジは閉鎖されており、さらに東へ進んでゆりかめもめ高架に沿って北上すれば有明テニスの森公園、さらに進むとあのスケボー旋風に沸いた有明アーバンスポーツパークが見える。
大会関係者バス、乗車している取材者はひとりだけ
ゆりかもめ、有明駅に向かう海外取材陣も朝からお疲れ気味
首都高速を走る大会車両、その向こうに有明コロシアム
ゆりかもめに沿って有明駅から有明テニスの森駅に向かう途中、首都高速をまたぐ橋にはおそらく目隠しのためのフェンスが設置されている、その奥が有明コロシアム
有明コロシアム方面の交通は遮断
空いた土地を利用して設置された賑わいスポットだが、当然、賑わいは限定的
有明コロシアムを左手にさらに進むと2000年開設の有明アーバンスポーツパークが見えてくる、2020年開場のため、大会関係冊子などにはその存在が落とし込まれていない
競技が終了したため会場の様子が確認できる
大会期間中はこの橋の上からスケートボード競技を応援する人たちの姿が紹介された
有明アーバンスポーツパーク全景
あの熱戦の模様が思い出される
ゆりかもめ高架に沿ってさらに進むと橋を渡り豊洲市場(画像奥)が見えてくるが、警視庁の水上パトロールも確認できる
橋の上もパトロール
豊洲市場からは晴海ふ頭の選手村が見える、もちろん豊洲市場側からは関係車両以外アクセスできない
豊洲ふ頭のある市場前からふたつ目の豊洲駅を通過する五輪バス
そして地元のヒーローを祝う横断幕
豊洲商業施設広場に開設された五輪コーナー、コロナ禍にあっても撮影した8月7日土曜の施設一帯はたいへんな人出だった
どの会場も競技終了後、すぐに設備の解体に入り、パラリンピック会場兼用の場合は次の準備に入った。
五輪競技に「パーク」はつきもので、その公園が公園として機能しない、それが東京2020だった。
ミライトワとソメイティはデジタル世界に住んでいる。インターネットを使ってデジタルと現実の世界を自由に行き来する。そしてミライトワの特技は瞬間移動だ。
ふたりのデザインは全国からプロアマ問わずに集まった2042作品から、審査会が3作品に絞り、全国の小学校約2万1200校や海外の日本人学校などのうち計1万6769校、20万5755クラスが投票して決まった。
名前も投票に参加した小学生のアンケート7000件や業者から提示のあった約30案を踏まえて審査会が投票で決めた。
子どもたちの夢が生み出したミライトワが東京2030や2050でどんなスポーツシーンを見ることができるのか?
その時、日本はまだ平和なのか?
その時、スケートボードで金メダルに輝いたみなさんは、どんな”技”を披露してくれているのだろうか…(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
8月8日、閉会式の朝は雨…
警備に向かう警察官(島根県警)の背中もどこかきつそう?
国立競技場に近い東京体育館にも朝から取材陣の姿があった、画像は金属探知機でチェックする自衛官
東京体育館隣接の都営大江戸線、国立競技場前駅(以下同)
閉会式の日の新宿商業施設ハルク内にある五輪公式ショップは盛況だった
閉会式が3時間後に迫った都庁…
ひと気なし…
都庁内にある五輪展示(もちろん無料)を見学に訪れる人はわずかながら確認できた
ふたりが出迎えてくれる
都庁内展示内容はけっこうシンプル、各会場を俯瞰する
メダリスト全員
日本最後の金メダルは侍ジャパンだった
新宿駅と都庁を結ぶ動く歩道
動く歩道に沿って、ソメイティの雄姿が紹介されている