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2022年02月03日
編集部

ドーハの悲劇からロシアW杯、東京五輪経由でカタールW杯に王手、森保監督と浅野琢磨、吉田麻也、長友佑都と…

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画像は2021年8月6日、東京五輪での3位決定戦キックオフ前の埼玉スタジアム2002

 

 

2022FIFA W杯カタール大会アジア地区最終予選B組(2月1日19時15分キックオフ、埼玉スタジアム2002)
日本2-0サウジアラビア(前半1-0)

 

日本のW杯アジア最終予選経過
(Hホーム、N中立、Aアウェイ、選手名は得点者)
21年
9月2日  H●0-1オマーン
9月7日  N〇1-0中国 大迫勇也
10月7日  A●0-1サウジアラビア
10月12日  H〇2-1オーストラリア 田中碧、O・G
11月11日  A〇1-0ベトナム 伊東純也
11月16日  A〇1-0オマーン 伊東純也
22年
1月27日  H〇2-0中国 大迫勇也、伊東純也
2月1日  H〇2-0サウジアラビア 南野拓実、伊東純也

 

 

 

B組勝敗表
サウジアラビア 8試合6勝1分け1敗、勝ち点19、得失差+5
日本      8試合6勝0分け2敗、勝ち点18、得失差+6
オーストラリア 7試合4勝2分け1敗、勝ち点14、得失差+9
オマーン    7試合2勝1分け4敗、勝ち点7、得失差-2
中国      7試合1勝2分け4敗、勝ち点5、得失差-6
ベトナム    7試合0勝0分け7敗、勝ち点0、得失差-12

 

 

「我々が相手よりもワールドカップへ行く気持ちが強かった。それをみんな表現してくれた。素晴らしかったと思います。まだ!まだ終わってないよ。まだ終わってないよ。ここまで積み上げてきたことをさらに積み上げて、残り2試合勝って我々が…」

 

 

勝利の熱気がまだたっぷりと残る埼玉スタジアム2002のピッチ上で、森保一監督の腹の底から湧き上がるその声を、中継マイクが拾ってお茶の間に届けた。その後、代表インタビューに呼ばれた指揮官の目はまだ潤んでいた。いつものことではあるが、今回ばかりは特別だった。およそ4年半もW杯アジア予選で負けていないサウジアラビアに2-0のスコアで土をつけた。

 

 

「選手もスタッフもこの目の前の一戦に向けてそれぞれのできることを、最善の準備をしてくれて、ピッチ内にいいエネルギーをみんなで作って、勝利につながったと思います。出場できなかった選手もいますけど、練習の時から非情に集中してみんなでいい練習ができていたので、みんなで勝ち取った勝利かなと思います」

 

 

ひと息で話すと、まだ続きがあった。

 

 

「そしてこのホームでやはりサポーターのみなさんの前で我々がプレーできたこと、声援を受けて選手たちがチャレンジしてくれたことが勝利につながったと思いますし、テレビの前で応援してくださったたくさんの方もいると思います。選手たちみんな、その熱い思いを感じながらプレーしたことが勝利につながったと思います」

 

 

-守備のところで監督が課したミッションをコンプリート。

 

 

「私が課したというよりも、選手たちがこの試合に絶対に勝つんだという、そしてワールドカップに向けて我々の方が、自分たちの方が絶対にこの試合に勝って前進するんだといういいコミュニケーションを選手たちが取ってくれて、いいパワーを作ってくれたと思います。それがピッチ上でも具現化されたと思います」

 

 

-あと2試合、ワールドカップへ向けて意気込みを。

 

 

「しっかりと勝っていって誰が与えてくれるものでもないですので、勝って自分たちでワールドカップ出場を掴み取れるように次のオーストラリア戦に向けて最善の準備をしていきたいと思います」

 

 

……

 

 

 

Road to Qatar

 

 

森保ジャパンのアジア最終予選は2021年9月、10月の1勝2敗の躓き、いや大ズッコケから始まった。サッカー専門誌もスポーツ紙も「監督交代」論を加速させた。言葉は悪いが言いたい放題…となった。

 

 

「ドーハの悲劇」を現地で見届け、今なお都内で取材を続ける記者のひとりは「今のところ(森保監督のクビは)大丈夫だけど、次負けたらやばい」と第3戦のあとその行く末を案じていた。

 

 

日本サッカー協会内の空気もそうだ。W杯切符を逃せば、あらゆる面で大打撃となる。

 

 

 

森保監督がロシアW杯日本代表コーチから昇格する形で東京五輪監督兼任のA代表を指揮することが決まったのは2018年7月26日。ちなみに、森保監督がサンフレッチェ広島を突如、解任(クラブ発表は辞任)されたのは2017年7月3日。人生、先のことは誰にも分からない…

 

 

 

日本サッカーに熱視線を注ぎ続け、ネット全盛時代に多角的に報じる各メディアでは、この兼任システムを訝しむ声が絶えなかった。サンフレッチェ広島時代から旧知の中である横内昭展コーチ、下田崇GKコーチ、松本良一フィジカルコーチらと目指したのは五輪代表、A代表のトータルでの強化と世代を超えた融合。そのコンセプトは良し!であっても、勝てなかったり、選手起用に“ばらつき”があったりすれば、目の肥えた記者たちは厳しかった。

 

 

そして1年遅れで始まった東京五輪2020。2021年8月6日、やはり舞台は埼玉スタジアム2002。久保建英が“大泣き”したあの真夏の夜から、メディアはまた一斉に森保バッシングを始めた。

 

バッシング報道は見ている方が気になる。東京五輪3位決定戦直前のタイミングで森保監督にメディア報道について話を振ってみたらこんな答えが返ってきた。

 

 

「〇〇さんには長く、日本のサッカーの成長を見守ってもらっています」「多くの選手がA代表から東京オリンピック、そしてカタールワールドカップやその先の日本代表につながると嬉しいですね」

 

 

勝った、負けた、メダルあり、なしの単純な結果以外で森保ジャパンを見守る“目”も確かに一部ではあるが存在する。森保監督も、もうこの世界に入って30年以上だから、メディアの先のサポーター存在や、メディアを通じて笑顔になってくれる人たちが大勢することも知っている。

 

 

さすがにもう、みんな気付いているだろう。命がすり減るほどの重圧が常にのしかかる代表監督を、しかも五輪兼任で続けてきたのに森保監督はサンフレッチェ広島時代とほとんど様子が変わらない。見た目もだが、たぶん内面的にもそうだ。代表監督として日本サッカーの先頭に立つようになって約4年2カ月。コロナ禍の逆風の中、いろいろなことがあり過ぎる「Road to Qatar」ではあるが、不平不満はもちろん、愚痴も聞いたことがない。

 

 

愚痴らない?のは、日本人による、日本人の特性を最大限に引き上げた挑戦、個々の能力とチーム力を掛け合わせたW杯ベスト8以上のレベルを常に維持できる基盤を作り上げるという崇高な目標があるからだろう。故に「なんであの選手を使わない?」「招集しないのは何故?」の声にはみな、そうした思いを実践するため、という答で納得してもらうしかない。

 

 

東京五輪金メダルの夢破れ、そのあとW杯アジア最終予選でも1勝2敗の土俵際に追い詰められた森保ジャパンは、しかし2021年10月12日のオーストラリア戦に勝ち、そこからこの日のサウジアラビア撃破で5連勝をマークして、カタール行きの切符に王手をかけた。

 

 

なぜ、そんなことができたのか?

 

 

その答えもやはり森保監督が絶妙な距離で接するメディアの中から見てとれる。

 

 

潮目の変わったオーストラリア戦。その2日後、YouTube「JFA TV」が更新され「オーストラリア戦 勝利の裏側」が公開された。動画の中の試合前のロッカールーム。チームの支柱、吉田麻也の言葉には、まさに森保監督の思いや願いが反映されていた。

 

 

「俺が小学校の時に、ワールドカップに日本が初めて出て、2002年日韓ワールドカップを見て、自分も日本代表に入ってワールドカップに行きたいと思うようになった。俺たちも子どもたちに、そういう夢を与えなきゃいけないぞ。その責任があるからな。先輩たちが繋いできたものを、しっかり繋いでいこう。OK?」

 

 

 

オーストラリア戦は相手に直接FKを決められ1-1同点から、途中出場の浅野拓磨の一撃が決勝O・Gとなった。

 

 

浅野琢磨はサンフレッチェ広島時代に、森保監督の下で日々、成長し、そして海外挑戦のため指揮官に別れを告げた。退団会見を行ったのは2016年7月5日。その1年後に森保監督も広島を離れた。

 

まさにこの子弟コンビの“共同作業”によって、死に体だった日本代表は地獄の淵からの生還を果たした。

 

 

この劇的勝利の余韻たっぷりのDAZN中継も実によく“できていた”。実況はサンフレッチェ広島現役時代からの森保監督をよく知る西岡明彦さん。解説は岡田武史さん、戸田和幸さんだった。

 

 

ピッチの上と同じく、全集中、全エネルギー放出気味の放送ブースで西岡さんがなんとかつないでゲームを振り返る中、岡田さんの言葉の中に印象的な一節があった。「そういう運(決勝オウンゴール)を掴み取るため、日頃どれだけのことをきちっとやってきたかなんですよ。たぶん森保のチームはきっちりやってきてるんですよ、それなのにこれまで(神様が)微笑んでくれなかった…」

 

 

「オレ森保のこと好きなんで」とも岡田さんは話していた。将来、日本サッカー協会会長の椅子に座るかもしれない“智将”の言葉は重い。

 

 

岡田さんの言葉はそのまま、この日のサウジアラビア戦でも現実のものとなった。前半32分、南野拓実の先制弾はダイブする相手GKの左足をかすめ、大きくバウンドしたがゴールに吸い込まれた。相手DFのひとりが背中をピッチにつけたまま懸命に左足で弾き返そうとしたがこれも届かなかった。

 

 

2点目は後半5分、4戦連発となる伊東純也のゴールが相手のゴールネットに突き刺さった。クロスを上げたのは左サイドの長友佑都だった。

 

 

1月27日のオマーン戦とこの日の地上波中継担当局はテレビ朝日。オマーン戦では長友佑都の先発起用に大いに疑問を呈していた解説者がこの日は一転して「さすが!」と褒めていた。テレ朝だけではない。様々なメディアが「ベテラン」起用にこだわる(ように見える)森保監督や長友叩きに異常なほどに熱心で、ボロカス状態だったと言っていい。

 

 

だが長友は「意見や批判の中に自分のチャンスが眠っている」「チームのためにどれだけ戦うか?」と話し、外野から声をピッチを駆け回るためのエネルギーに換えた。

 

 

キャプテン吉田がケガのため中国戦、サウジアラビア戦を欠場し、ロシアW杯を知る貴重な駒が一枚欠ける中、左右サイドバックは酒井宏樹とのロシアコンビになった。1点目も酒井宏樹-伊東純也-大迫勇也のスルーからの南野拓実という流れになった。

 

 

森保監督が選手を起用する条件をここで紹介するだけの情報は持ち合わせていないが換言すれば「チームのためにどれだけ戦うか?」という長友の言葉に集約されるのではないか?

 

 

ロシアW杯(やはり日付は2021年“7月3日”)で西野朗監督の下、日本代表が起こそうとした「小さな奇跡」はアディショナルタイムのピッチを縦に切り裂いたベルギーの赤い稲妻の前に散った。

 

 

あと数秒、あとワンプレー。その重みを体の中に染み込ませた長友や吉田らは“優先”されているのではなく、“優れている”ということにならないか。

 

 

今の日本サッカーの原点である1993年10・28、カタールの首都ドーハでの悲劇は、まさにあとワンプレー…

 

 

「まだ!まだ終わってないよ。まだ終わってないよ…」サウジアラビア戦勝利のあとの円陣で森保監督は選手に大きな声をかけたのもそうした思いがあるからだ。そう、まだ何ひとつ手にしたものはなく、でも、このまま突っ走って秋にはまたドーハへ。

 

森保監督にブレることのない基本姿勢がある。見据えているのは5年先、10年先の、世界と互角に渡り合う日本サッカーのあるべき姿、である。

 

「選手たちには日本代表の活動の意義や我々が目指す目標を明確に伝えて、それが選手の自然な言動の道標となるように、そういう思いで活動しています」

 

「過去の選手や指導者、環境作りをしてくれた関係者のみなさんなど、多くの尽力を受け継ぎながら、現在の日本代表の勝利と日本サッカーの発展に少しでも寄与できるように…。我々の戦い、取り組みが未来の日本サッカーの発展に生かしてもらえるように、それを意識していき、次世代にバトンタッチできれば幸いです」

(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)

 

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(2021年8月6日掲載)

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