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2021年08月06日
編集部

サッカー男子メダル無し!のエンディングから何が見える?森保一監督は「1ミリたりとも…」と言いながらなぜマスクの向こうで嗚咽しそうになったのか?

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埼玉 東京五輪
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画像は8月6日午後4時30分過ぎの埼玉スタジアム2002へ向かう途中…

 

 

森保ジャパンの東京五輪は…

 

 

メダルなしに終わった。

 

 

無観客の埼玉スタジアム2002。キックオフが前日(5日)の土壇場で、午後8時から午後6時に変更された。

 

 

8月6日、午後5時のスタジアムは不思議な光に包まれていた。栄光への道のりのようでもあり、暗雲が漂っているようでもあり…
(この画像は加工されていない)

埼玉 東京五輪

 

 

1年の延期の末、紆余曲折を経て、みんなで決勝の舞台を目指し、あと少しのところ(この少し、がいつも難しい、あのドーハも、ロストフ・ナ・ドヌーもそう)でスペインに跳ね返された。

 

 

残るは53年前のメキシコ五輪の再現。この状況はさすがの森保一監督も予想していなかったかも。

 

 

約3年前の2018年10月、メキシコ五輪銅メダル獲得から50周年を祝うパーティーが都内であり、釜本邦茂氏らが集う中、ゲストとして呼ばれた森保一監督はこう挨拶した。

 

「メキシコ五輪は私が生まれた年、五輪とは縁があるので使命を持っていきたい。きょうここで感じたのは、長い歴史の中で応援してくれる人がいること。諸先輩に成功のヒントをいただいたので、2020年へ向けて皆さんが期待しているメダルを、我々は金メダルを取りたい」

 

 

いろいろな場で「金メダル」と口にしていたかもしれないが、公言したのはこの時が最初ではないか。サンフレッチェ広島の監督を辞任(事実上解任)したのが2017年7月6日。五輪監督正式決定が10月12日。そこから1年後のエピソードだ。

 

サンフレッチェ広島を4年で3度のJ1王者に導いた森保一監督はしかし2017年、J2降格の危機に瀕した。故障者続出×戦力流出×強行日程…の結果だろう。

 

 

「全面的バックアップ」(日本サッカー協会 田嶋幸三会長)の下、今度は自分でメンバーを集める。新たな挑戦が始まった。そこにさらに大きなフル代表の指揮権まで加わった。否定的な声やマイナスの意見が多々、上がっても森保ジャパンは前を向き続けた。

 

 

そのロストフ・ナ・ドヌー発、東京経由、2022年ドーハへの、もっと言えば1993年10・28ドーハ発、森保経由、2022年ドーハへの長い旅の途中の一区切り、今回の東京2020集大成の戦いは、誤解を承知で言えばあと少し、に思えた準決勝でどこか歩みを止めていたようでもあり、特別な8月6日の死闘は予想外の3-1完敗に終わり、ホイッスルと同時にみんなピッチに倒れ込み、あるいは動けなくなった。

 

 

吉田麻也はしゃがみ込み、左手で顔を抑えた。

 

 

大泣きの久保建英は、両腕を伸ばし、顔をピッチに押し付けた。一度、上体を持ち上げたが両肘は曲がり、頭はガックリ下を向いたまま。そのまままた頭をピッチに押し付けた。こらえきれない涙が溢れ、“みんな”が次々やってきても5分以上、泣き続けた。

 

 

フィジカルを鍛え、海外でメンタルを鍛え上げる。でも、鋼のようになる訳ではない。誰でも傷つけば、もろい。しかもまだ若い。

 

 

学校にやってくる生徒には勉強だけ、教えればいい訳ではない。サッカーをやりに集まる人間に、話し方、表現の仕方、文章力、構成力などを説く。森保一監督が長崎-広島のサッカー人生を歩む中で最初に出会った(長崎の無名の高卒選手を広島に呼んで、オフトジャパンに導いてくれた)サンフレッチェ広島初代GM、今西和男氏の教えだ。(今西氏は被爆者でケロイドもある)

 

 

森保ジャパンに召集された面々が何を説かれたか、は内部の人間にしか分からない。だが、なぜ日の丸を背負って戦うか、それが全員で見る同じ“絵”になる。

 

 

オーバーエイジの吉田麻也はまさにそのためのピッチ上の責任者、だから中2日の過密日程でもフルタイム出場だった。

 

 

試合後、やっと始まったテレビインタビューで、いつものように(実際はちょっと目が違ったかも)コメントしていた森保一監督は「努力は1ミリたりとも疑う余地はない」と言い出すと急にマスクの奥で嗚咽しかけた。

 

 

日本中の応援してくれる人たちへ、自身を支えてくれた人たちへの「笑顔」の報告ができなかった。そして何より、手塩にかけて育ててきたつもりのチームで金、銀、銅のどれも掴めなかった。

 

 

コメントの途中で森保一監督が言葉に詰まったのは、大泣きした久保建英たちの長く厳しくひたむきな日々が、喉のすぐ近くまでこみ上げてきたからではないか?

 

 

それを飲み込んでまた、吉田麻也が「どういう選手になっていくか大切にしていく」と絞り出したように、みんな成長していくだけ。監督はそれを見守り、時には手を貸す役目だ。

 

 

「多くの選手がA代表→東京オリンピック→カタールW杯やその先のA代表に繋がると嬉しい…」

 

 

メキシコとの大一番へ向けた森保一監督の素直な想いだ。

 

 

そう、目標にすべきは、日本サッカーの歴史を変えること。

 

 

ドーハがもしもなかったら、今流行りの?「パラレルワールド」の日本サッカーはどうなっていたか?

 

 

そもそも森保ジャパンは誕生していたか?

 

 

いろいろな意味で特別な広島サッカーがそこに絡む。(この表現については、過去の広島サッカーと森保監督、森保ジャパンのひろスポ!記事参照)

 

 

この話には、やはりあの砂漠の街のスタジアムでの死闘へと帰結するようなシナリオがきっと最初から用意されている。

 

 

途中でどんな道を歩もうと、もう一度、カタールのピッチで白黒つけるホイッスルが鳴り響く。(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
※この記事は福山大学、福山平成大学「広島スポーツ学」から一部、引用されています。

 

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