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2022年07月27日
編集部

62年ぶり県東部勢による決勝は、球数制限79球の尾道エース左腕、坂本典優を攻略した盈進に軍配

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盈進
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画像は盈進学園建学の精神の碑、画像後方に野球場

 

第104回全国高校野球選手権広島大会最終日(7月27日)

 

盈進と尾道による決勝は、尾道市栗原町のぶんちゃんしまなみ球場で午前10時プレーボール。1960年以来62年ぶりの県東部勢同士の対決となり、スタンドには福山市の枝広直幹市長や尾道市の平谷祐宏市長も駆け付けた。

両校の準決勝までの成績

盈進
準決勝までで打率・384、20盗塁
1回戦 大門に11-0(五回コールド)大門
2回戦 三次三次青陵に18-0(五回コールド)
3回戦 福山工に7-1
4回戦 海田に12-2(五回コールド)
準々決勝 呉港に4対3
準決勝 近大福山に5対0

 

尾道
準決勝までで打率・248、4盗塁
2回戦 尾道商に3-1
3回戦 武田に3-1
4回戦 誠之館6-3
準々決勝 市立呉に2対0
準決勝 広島商に4対1

 

試合は六回、尾道が2点を返して3対3同点に。続く七回、三番秋田浩侑(3年)の適時二塁打で勝ち越した盈進が八回にも5点を加えて9対4で勝って85校83チームの頂点に立った。創部65年の尾道は春夏通じて初の甲子園へ”あと1勝”というところまで上り詰めたが及ばなかった。

 

盈進は1960年(昭和35年)、1974年(昭和49年)以来、3度目の甲子園(春は出場なし)。

 

福山市千田町の丘の上にある盈進は1904年(明治37年)に商業実務学校として設立され118年の歴史がある。野球部創部は夏の全国大会(当時は中等学校野球)が始まって6年後の1921年(大正10年)。

 

今大会は104回の広島高校野球の歴史に、東部勢の台頭で新たな1ページを記した。

 

優勝候補の広陵を3回戦で倒して大きな注目を浴びたのも福山市引野町の英数学館で盈進とは”ご近所さん”。

 

第3シードの尾道は3回戦で東広島市の武田に3-1で競り勝ち、準々決勝では市立呉に2-0完封勝ち。準決勝では広島商に4-1で勝って決勝に進んだ。

 

ただ、準決勝までの5試合で1完封を含む4完投で防御率0点台のエース坂本典優(3年)は「1週間500球」の球数制限まで79球しか残っていない状況で盈進の強力打線に挑むことになった。

 

その初回、先頭の梶岡航士朗(3年)に高く浮いた真っすぐを中前打され、続く鶴田海斗(3年)には死球。三番秋田浩侑を二ゴロ併殺に仕留めたはずが結果的にはワンアウトしか取れず、そこから計2点。1イニング複数失点は今大会初めてで、しかも球数24と出ばなをくじかれた。

 

三回に両校1点ずつを奪い、接戦の様相を呈する中、五回で67球、残り12球となった坂本典優はライトへ回りマウンドには台湾からの留学生、190センチ右腕の蘇璟(スー・ジン)が上がった。

 

2点を追う尾道は迎えた六回、相手のエラーに乗じて盈進のエース向井勇(3年)を攻め、1点差に詰め寄りなおも一死満塁。ここで盈進は二番手寺田大和(3年)にスイッチしたが、代打入江信乃介の内野ゴロで試合を振り出しに戻した。

 

こうなると流れは尾道…

 

…とはならなかったのは直後の七回、先頭打者となった寺田大和がしぶとく四球を選んだことが大きい。寺田大和はこの回、勝ち越しのホームを踏むと、ゲームセットまで投げ続けた。

 

もうひとつ。六回の守りで痛恨エラーの「八番セカンド」西本翔清(3年)が八回、一死二、三塁のチャンスで”粘投”する蘇璟から三ゴロを放つとこれがタイムリ―エラーとなって、計5点のビッグイニングの呼び水になった。

 

尾道はこのタイミングでもう一度、マウンドを坂本典優に託したが12球しか残っていない中でできることは限られていた。

 

盈進を率いて6年目でその指導が実を結んだ佐藤康彦監督(47)は試合後、マイクを向けられると次のように話した。

 

「1回戦から選手がいつもいい準備をして盈進のグラウンドでやってきたことを素直に出してくれたということで本当に嬉しいです」

「こどもたちがやってきた野球を甲子園という舞台でまた素直にやっていきたいと思います」

 

その盈進グラウンドは両翼103メートル。フリー打撃の鳥かごは3つ。徹底的に振り込むことができる環境で「いい準備」が続けられてきたことになる。もちろん、5人の投手も「いい準備」を怠らなかったし、そ8月6日の甲子園大会開幕に向けてもその取り組みは変わらないだろう。

 

盈進学園建学の精神、は中国の「孟子」の…

源泉(げんせん) 混混(こんこん)として
昼夜(ちゅうや)をおかず
料(あな)に盈(み)ちて
後(のち)に進(すす)み
四海(しかい)にいたる

 

…水はこんこんと湧き出て休む時はなく、その流れは窪みがあればまずその穴を満たしてから初めて溢れ出して四海へと進む…となっている。

 

学生野球の基本原理として「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする。」を掲げる高校野球で夏の甲子園に挑む「盈進」は、勢力図に変化の兆しが見え始めた県内高校野球代表校として、どんな戦いを見せてくれるだろうか…(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)

盈進
盈進校舎(上)とそこから見渡す福山市街地(下)

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