画像は2024年12月に開催されたサンフレッチェ広島レジェンドマッチのピッチにお孫さんとともに向かう今西和男さん
特報!あす6月26日の日本テレビ「news zero」で今西和男さん特集。森保一監督の師として、サンフレッチェ広島総監督として、戦後80年の広島サッカー、日本サッカーに挑んだその足跡をたどる
当初は25日オンエア予定だったが、「TOKIO」解散発表や、なんやかんやで番組内容が差し替えられた。
日本テレビ「news zero」(月~木午後11時から)であす6月26日、広島サッカーと被爆80年の広島にスポットを当てた特集がオンエアされる。“証言者”はサンフレッチェ広島の元総監督で日本サッカーの強化にも多大な貢献をした今西和男さん(84)。現在の広島市中区の出身で、広島に原爆が投下された8月6日にはJR広島駅近くで被爆、今もその傷が体の一部に残る。
「news zero」オフィシャルサイトにはその記載がないが、戦後80年の広島がサッカーなどのスポーツを足掛かりに復興の道を歩んできたことにスポットを当て、広島に数多くいるその証言者の中から今西さんに白羽の矢が立った模様。
想像するに紹介されるVTRは今西さんがその人間力で挑んだ広島サッカー、日本サッカーの名場面を切り取ったものになりそうだ。
広島市立舟入高校を卒業した今西さんは、東京教育大学(現筑波大学)を経て高度経済成長時代、広島経済をけん引した東洋工業(現マツダ)に入社。社業とサッカーにまい進する中、当時の大規模社員寮の“生活指導”などにも携わり、人材育成の何たるかを学んでいったという。
指導者となってからはそのノウハウを選手育成にも生かし、「財力などにモノを言わせたスカウティグ」で強化を図る三菱重工、日産自動車などに対抗した。そして1980年代後半から水面下で進められたJリーグ誕生の荒波も乗り越えてサンフレッチェ広島総監督として新たなスタートを切り、同時に日本サッカー協会強化委員会の中心のひとりとして、Jリーグ創設の最大の目標である日本サッカーの強化にも尽力した。
その今西チルドレンのひとりがSAMURAI BLUE率いる森保一監督。
ただ、オリジナル10としてJリーグの歴史に名を刻むサンフレッチェ広島だが、長らく“寝かされたまま”になっていた大きな課題が残されていた。
「広島にサッカー専用の新スタジアムを!」
その声に応えようと2003年、サンフレッチェ広島顧問に就任するスタジアム建設を目指す「スタジアム推進プロジェクト」のトップに就いた。事務所は原爆ドームから徒歩圏内に置かれた。
森保一監督もサンフレッチェ広島指揮官の時代に、スタジアム建設機運を高めようとその先頭に立った。
それから20有余年。紆余曲折の末、2024年2月エディオンピースウイング広島が、原爆慰霊碑-原爆ドームを通り北に延びる「平和の軸線」そばという一番広島らしい場所に舞い降りた。迎えた12月21日、同スタジアムでは今西さんの教え子たちが集結する「サンフレッチェ広島レジェンドマッチ」が初めて開催されたのである…(ひろスポ!広島スポーツ100年取材班&田辺一球)
レジェンドマッチの控室で森保一監督に声をかける今西和男さん