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2015年01月21日
編集部

ひろしま男子駅伝の日にカープ、サンフレッチェ広島の街の表情とともに、広島土砂災害から5カ月、神戸・淡路大震災から20年…、川風の街、七色の光…#7

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ひろしま男子駅伝の日の原爆ドーム
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1月18日、日曜日。広島市内は真っ青な空に覆われていました。

午後12時30分、号砲一発…

全国の目が集まる中、47都道府県代表が集まるひろしま男子駅伝がスタートしました。

第20回ひろしま男子駅伝スタート

ひろしま男子駅伝スタート直後

沿道の声援に送られて、七色のタスキが長いロードの戦いを演じているころ広島の街はおだやかな表情を見せていました。

元安川遊覧船2015年1月18日
元安川の先に、ひろしま男子駅伝発着点に隣接の広島平和記念資料館

元安橋と原爆ドーム2015年1月18日
広島平和記念公園と本通りを結ぶ元安橋の向こうに原爆ドーム、その後ろが広島商工会議所ビル。同ビルに隣接するカープのかつての本拠地、旧広島市民球場跡地に新スタジアム建設を目指し、サンフレッチェ広島がさまざまな活動を展開しています。広島の街はスポーツとともに歩んでいます。

元安川東詰め
元安橋を渡ると東詰めの空間はまるでヨーロッパの街角のよう、川風がそっとほおをなでていきます…

シャレオで海外旅行などイベント
紙屋町地下街のシャレオでは、シャレオでは海外、国内の政府観光局・航空会社・観光協会・観光施設などが17ブースを出して、旅の最新情報を提供していました。

シャレオで旅情報2015年1月18日

その一角で見かけたメッセージボード…

土砂災害メッセージボード、シャレオにて

土砂災害海外のメッセージ

1月20日で広島は74人を”超える”命を失った未曾有の土砂災害から5カ月目を迎えました。そして1月17日には災害によって直接亡くなった方だけでもだけでも6434人にのぼる阪神・淡路大震災から20年を迎えました。

ほぼ同時期、地下街シャレオから車で20数分の同じ広島市内です。

権現山岩の道
登山道に巨大な岩が転がっています

権現山電線
電線が切れて谷底へ土砂とともに引き込まれています

権現山折れた電柱
電柱は根元の方で折れています

権現山土砂崩れ
大規模な土砂崩れが至るところで発生し、手つかずのままになっています。

権現山奇跡の地蔵
登山者に水の恵を提供するこの一角だけは、奇跡的にも豪雨による天災を免れていました。

権現山破壊されたガードレール
画像右下のシューズの先との対比から災害の規模の大きさがわかります。
ガードレールは 紙切れのようにちぎれて谷底へ、そしてその先には住宅街…

これらの画像は大きな被害を受けた安佐南区八木地区のある阿武山(あぶさん、標高586・4メートル)に隣接する権現山(ごんげんやま、標高397メートル)の現状です。

山肌にはっきり残るその爪痕…

権現山の爪痕

現在、麓からの入山は広島市によって立ち入り禁止となってますが、阿武山から上がった登山者は立ち入り禁止の看板を見ることなく、このルートに入っています。

 

あの日、まだ多くの人がその全容を知らない夜明けを迎えた八木地区は…

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阪神・淡路大震災では仮設住宅に入居された方たちの高齢化も進み、孤独死だけでも1000件を超えた、と聞いています。

今、広島の被災地では「また地元でお店が再開した」「新しい街作りが始まる」などのニュースの方が優先されてはいますが、実際にそこに暮らす方たちの状況は必ずしも良い方向へ進んでいるとは言えません。

「自宅の被害は床下に土砂で済んだけど、多くの知人を亡くし精神的に不安定になった」「あれ以来、耳が聞こえない」「被災者本位の支援にはほど遠く再建の見通しがまったく立たない」「被災状況をいくら訴えてもダメ。画像に残しておかなかったのは痛恨…」「けっきょく自分自身の手でこの先、立ち直っていくより手がない」

声にならない声がたくさんあがっている、というのが現実です。

 

基町高層アパート
ひろしま男子駅伝コース沿いには広島の戦後復興の象徴、基町高層アパート群も

 

600メートル上空で人類初の原子爆弾炸裂の不条理に壊滅した広島…。

その6年後には焼野原だった街で第6回の国民体育大会が開かれました。当時、国体招致に尽力した関係者のおひとりからこんなお話を聞いたことがあります。

「その当時、流川で飲んでいますと、先生、いいですね。今度国体があるんでしょう。大勢の方が広島に来られますね!そりゃ来るよ。嬉しいわ、忙しくなりますね…、とね。でも、家族を失った多くの方にしてみれば”何が国体か”…。私もそうですから。ただ、いつまでもそうした気持ちでいても新しい未来は来ない、スポーツで広島はまた元気になれる、きっと元気になる、とそういう気持ちを込めて国体を迎えましたね」

ひろしま男子駅伝青空

 

瀬戸内海の風に吹かれ、安芸の宮島を左に右にとやり過ごしながらやがて再び広島の街に戻ってきたランナーたちは歯をくいしばり、次々とゴールを駆け抜けていきました。

その熱いレースの模様は、広島の風景にとけこむようにして佇む記念碑、モニュメントにもそっと見守られているようでした。

記念碑と駅伝

広島が大規模土砂災害に襲われたのは今回が初めてではありません。1999年に多数の死傷者を出しながら、またしても悲劇が繰り返されました。

一方、大震災で壊滅的は被害を受けた神戸の街。途中階が押しつぶされた建物も傾いた高層ビルも基礎部分が波にさらわれた防波堤も、見た目は元通りきれいに整備されていますが、もう一度、大きな地震があればどれだけ耐えることができるのか、誰もはっきりしたことはわからない状況だと言います。20年の歳月をもってしても「完全復興」とはいきません。

 

私たちにできることは限られていますが、戦後復興の道を着実に歩んできたその力を信じて…
そして、スポーツでもっと幸せな広島へ。

いつの日かまたすべての広島市民にその笑顔が戻ってきますように…

ひろしま男子駅伝ふるさとひろば

熊野の応援団

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