旧広島市民球場スタンドを望む
そして、赤になる。
最初から、そういう運命だった。
マツダスタジアムのスタンド風景は想像以上で、2740日前の“広島ラスト登板”、7000人ちょっとだった懐かしい広島市民球場の時とは大きく変わっていた。
言い知れぬ重圧はこの日のマウンドに上がる前から、いや去年のクリスマスイブ、広島の夜景を重たい気持ちで眺めた時から始まっていた。
球団本部長に国際電話で「広島復帰」を伝えた時も、実は何をどう話したか記憶にない。その電話を切ったあとから、さらに深い闇が自分を包んでいることがわかった。
「決めて断つ」
それが決断だと頭では分かっていても、これだ、という確信には至ることがなかった。知らないうちにじんましんのようなものが出来た。ストレスが限界に達しようとしていた。
ただ、似たようなことは8年前もその前にもあった。
特に2004年の球界再編問題はショックだった。選手会長となり、球団の存続自体に知恵を絞り、そして勝ちゲームのあと、お立ち台にファンを呼ぶサービスなどを自ら提案した。
気が休まらないから首から肩にかけて、それに腰のあたりがいつも張っていた。
「いくら何とかしようと思ってもどうにもならないこともある」
カープのエースと呼ばれるようになって、その症状は悪化した。
それが海を渡り見知らぬ世界に足を踏み入れたとたん、別の感覚とともに薄らいでいった。結果を残さなければしっぽを巻いて日本に帰る。そんなことは死んでもしたくはないが、ただ自分のことだけを考えれば良かった。
米国西海岸と東海岸で、確たる地位を築き上げ、その先にどんな世界が待っているのか?
そこにひとつの知らせが入ってきた。「新井貴浩、カープ復帰」。時間の流れを逆回転させるほどのエネルギー。そしてまた、赤になる、そんな自分のイメージが心の中に広がって行った。
国内復帰会見で200人の報道陣を前に思いを語り、すぐに沖縄に移動して赤いユニホームに袖を通し、あっという間に開幕3連戦を迎え、いつの間にか米国で過ごした7年間がもう懐かしい思い出に変っていた。
「向こうの感じも少し違った…」
マツダスタジアムのマウンドに上がった瞬間に、その感覚を研ぎ澄ました。その第1投、先頭の山田がファウルしてスタンドが歓声に包まれ、凱旋登板の幕が上がった。
準備と調整は済ませてきた。次は結果…。オープン戦、13人パーフェクトで抑えたヤクルト打線が攻略法を練っていることはすぐに分かった。
二死からミレッジに外寄り147キロを中前に運ばれた。二回には先頭の畠山に高目に浮いたところを中前に弾き返された。相手は前回よりもスイングの振幅を小さくとり、コンパクトに動く球を仕留める作戦で挑んできた。
気持ちを無理に抑えることをせず「自分の中で力を入れ、飛ばしていく」ことを優先した。その分、制球にバラつきが生じたが、気持ちで負けることの方が嫌だった。
長らく心にあった重たい気持ちと向き合うようにして1球ずつ、會澤のミットに投げ込んだ。そう、どれだけカープの、広島の黒田として燃えることができるのか…
広島復帰決断の確認を自分自身の手で行い、右に左にと揺れ動く何かにケリをつけるための自分との戦いだった。
黒田の力投を祝して舞い上がる赤…
(中略)
試合は最後までどちらに転ぶか分からない展開となり2-1でチームに2勝目がもたらされた。お立ち台に上がり「広島のマウンドは最高でした」と胸を張ってみせた。
待っていてくれる人たちがたくさんいる、ファンの声援は世界一…。
やがてまた赤になる、仲間たちとともに話もし、心を痛め、涙も流し、FA宣言の行使とメジャー挑戦の決意を宣言したあの日から、きょうこの瞬間の忘れられないこの場所に戻ってくることは、心のどこかで分かっていた、きっと、そしていつの時もずっとそばに、初めて目にする、それでいていつも自分の心のどこかに見え隠れしていたこの風景とともに、通算183勝のその先で燃え尽きるために…
※365日更新のカープ携帯サイト「田辺一球広島魂」より記事抜粋。黒田博樹投手のFA移籍より以前の動きまで、日付ごとすべて検索できる国内由一のカープ情報データバンク。
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※全国のテレビ、放送関係者のみなさまへ
黒田博樹投手の「ドラマ」を制作しませんか?「黒田博樹、やがてまた赤になる」はドラマ化に向けた「構成」を意識して綴られています。(ひろスポ!黒田博樹取材班)