大災害発生直後の八木地区、午前6時前、人影もなくただ絶望的な気配が広がっている。
ひろスポ!記事
黒田博樹、やがてまた赤になる
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昨年8月20日未明、被災前に安佐南区、安佐北区の豪雨のあった地域の住民から広島市役所に電話が殺到した。しかし対応したのは警備員で「区役所に電話を」と繰り返すだけ、区役所も当然、担当者は不在。やがて夜明けとともに信じがたい変わり果てた景色が至るところで住民の目に飛び込んできた。しかし、松井市長はこの時点で登庁さえせず、広島市の指揮系統は乱れ、すべてが後手後手に回った。
それなのに今回の大災害の一番の責任者が誰であるのか、それさえはっきりさせないまま、机上で引かれた線引きで復興計画が用意され住民側に提示された。
おそらく被災地の住民はこの広島市に居住したことを悔い、自らを責めているのではないだろうか?そして広島市民としての誇りをどこかに忘れて来ているに違いない。行政サイドの誰ひとり被災地に頭を下げず、そして広島市長選も含めて総選挙の季節へ。
この構図は、状況は大きく違えど広島市・県が率先して進めようとしている広島みなと公園へのサッカースタジアム建設プランと酷似している。現場の声を聞かず、行政側の都合で街の復興や街への投資を進めようとするとどうなるか?被災地も、宇品・出島地区の港湾関係者も広島市・並びに県に対する拭い去りがたい不信感の中でその怒りが沸点に達しようとしている。
被災地に寄り添う、黒田博樹の温もりに地域住民は…
黒田博樹投手が広島復帰登板、日米通算183勝目を挙げてマツダスタジアムが赤く染まった3月29日は広島市長選告示日でもあった。
市長選立候補者は5人。
松井現市長の”続投”か?
それとも、サンフレッチェ広島社長時代、その松井市長から「(サンフレッチェ広島が3度優勝したらスタジアム建設を考えると市長として公言した手前)サンフレッチェは2位でいい」と言い放たれた側の、小谷野薫氏の”ロスタイム”決勝ゴールか…
そんな構図が強まる中、ここにきてある意味、最強の人材が市長選に名乗りを挙げる…ほどのインパクトのあるニュースが3月30日付「スポニチ」に掲載された。
3月30日付、スポニチ紙面
記事によると、昨年8月の広島市大規模土砂災害で壊滅的被害を受けた現地を昨年10月末、黒田投手が訪問し復旧活動に参加。気づいた住民やボランティアとみんなで写真を撮影した。その時「メジャーで頑張って」という声をかけられた黒田投手の言葉にみな、耳を疑ったという。
「本当にがんばっているのはみなさんです」
この話はすでに複数のメディアによって報じられてきた。
さらに、記事の中では被災した住民らが広島市、県の対応に疑問、「もっと言えば冷淡さ」を感じることが多かったとも綴られている。
昨年8月20日の未明、午前3時以降から74人もの命を一度に失いながら、その朝午前7時まで公用車が迎えにくるのを待って市役所に登庁した松井市長には、耳の痛すぎる話だろう。
記事の中では黒田投手の人柄に触れた住民が「ぜひ広島市長になって欲しい」と訴える内容も掲載されている。
広島は戦前戦後を通じて、スポーツ都市としての歩みを進め、スポーツを他の都市にはない重要かつ多面的なソフトとして、市民生活とともに育て発展させてきた。
その最たる例が戦後復興の象徴だったカープや旧広島市民球場だった。
こうした背景があるにもかかわらず、旧広島市民球場跡地も松井市政の4年間は”砂漠化”したまま…。(ひろスポ!既報)
記事の行間からは、黒田投手の「人柄」が人心を引き付けひとつにする、という一番大切なことが伝わってくる。 それは現市政に注がれる、広島市民の厳しい視線の裏返しでもあり、その思いは今回の選挙で、全市的に広く反映される可能性もある。
新サッカースタジアム取材班