赤い心見せ、広島を燃やせ…
マートンの頭上を襲った打球は甲子園のレフトフェンスで跳ね返った。1-1のスコアで迎えた六回、”凱旋スタメン”新井貴浩の第3打席。無死一、三塁のチャンスでメッセンジャーの初球を肘を畳みながら振り切った。右肘の痛みも忘れ押し込みが効いた分、打球が伸びた。
勝ち越しの1点が起爆剤になり、この回4点のビッグイニングになった。その3点目は、先発の黒田博樹が自ら叩き出した。
新井が阪神との3年契約が切れることで球団側に自由契約を申し出たのは昨年11月4日の午前のことだった。
その先、どうなるか? あてはなかった。
ただ、黒田が広島市の大規模土砂災害などを気にかけ帰国したことは知っていた。でも”それ”と”これ”とは話が別…のはずだった。
甲子園球場の施設などで練習を続けながら、オファーを待つ。そんな立場になっても、自分自身に言い聞かせる言葉があった。
「大事なのは心」
とはいえ”黄色い心”が微妙なことも分かっていた。
意外にも転機はすぐに訪れた。11月10日、広島市内で極秘裏に広島球団と接触、夜には古巣復帰決定の知らせがネット上を駆け巡った。
「絶対に帰ってはいけないのでは…」
2007年11月8日、あの涙の会見が赤い心で迎えたラストデー。同じくチームを引っ張っていた黒田が広島球団にFA申請の書類を提出したのは、その3日前の11月5日だった。
あれから7年。
クリスマスから一日遅れの昨年12月26日、「黒田、広島復帰」のビッグニュースが日本中を駆け巡り、そしてきょう、二人はスタメンに名を連ねた。
初回、黒田は一死一、二塁を遊ゴロ併殺打で切り抜けた。1点をもらった直後の二回、福留に高目の145キロをライトポール際に運ばれたが、その後は決して勝ち越し点を与えなかった。
立場や稼ぎは違っても、赤いユニホームに袖を通す、赤い心では「クロさん」に負けない。
だから、六回は腹を据えて打席に入った。
「大事なのは心」とまた一度、その言葉を繰り返して…。
かつて阪神のユニホームを着て旧広島市民球場に凱旋した時は、解説の金本知憲氏も苦笑いするほど、ボロカスのヤジが飛んできた。
今は甲子園のレフト側、三塁側が赤く染まり、阪神ファンの声援さえ温かい。
「黒田さんが粘って、粘って頑張っていたので、絶対に還すつもりで打席に入りました」
試合後、そう話した新井はおそらくすべての人たちに向けて「ありがとうございます」という言葉を2度繰り返した。
そして昨年までとは反対側のベンチから見る風景を、静かに心に焼き付けた。
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