ふるさと、広島から世界を目指す―
―本日はお忙しい中、ありがとうございます。こうして、紙屋町交差点近くのカフェでお話をおうかがいする機会に恵まれたことを嬉しく思います。
為末さんは、著書やツイッターなど、いろいろなツールを使って様々な情報を発信されています。そこで「ひろスポ!」ではまさにこの「広島」にスポットを当ててみたいと思います。為末さんにとって「ふるさと広島」はどのような存在なのでしょうか?
為末 まずは「ひろスポ!」スタート、おめでとうございます。やっぱり広島は原点ですからね。原点はふたつもないじゃないですか。そういう意味では僕にとって非常に大きなものなんですね。
じゃあ、広島がどういう場所なのか?そして広島人ってどんな人間なんだってことは、分かっているようでなかなか分かってないような気もするんです。
ひとつ目はよく言われることで海と山がある、そういうバックグラウンドですよね。そしてもうひとつはやはり原爆、人類初の被爆都市であるということですね。僕もおばあちゃんが被爆しているから3世なんです。
競技人生と広島人気質と…
競技をやっていく上ではやはり僕の中の広島人気質というか、強いものに挑んでいく時の興奮っていうものがあって、それに似た感覚は広島人にはみんなあるんじゃないかな、と…。まあ、このことはカープにそのまま投影されていますよね。
僕自身、やっぱりチャレンジをしたり、不利だと言われているものに挑んでいくのがすごく楽しかったし、面白かったんです。
それで、もし勝ったらみんながビックリするだろうな、という時には特に興奮していました。ほかの日本人選手と比べても、そういう部分は強かったなという気がします。たぶん、広島の空気の影響だと思います。
一方で弱かったのはチャンピオンを守り続けるとか、維持するということ。僕もそうですし、広島人ってあんまりそういうのは得意な方ではないんじゃないかなと…。
僕はアメリカに30歳の時に行って、3年間住んでいたんですけど、そこで改めて自分のアイデンティティーの中ですごく強いんだな、と感じることがふたつありました。
自分のアイデンティティーを形成する広島の力
「広島生まれであること」と「スポーツをやって知られていること」、このふたつは、自分が引退した後、すごく大きな武器になるんじゃないかなという思いはありました。
仮に「そんなことは関係ないよ」という風に生きて行こうとしても、18歳まで広島にどっぷりつかってかなり染まっちゃっていますからね。このアイデンティティーはもうちょっと前面に出してもいいんじゃないかなって、競技をやりながらそう感じていましたね。
為末大(ためすえ・だい)
1978年5月3日生まれ、広島市佐伯区五日市出身。五日市中学2年生で15歳の時に、100メートルジュニアオリンピック記録を更新。広島皆実高校2年時に100メートルで同級生に勝てなくなりハードルへの道を模索するようになる。法政大学に進学し、20歳の時に大学選手権400メートルハードルで優勝。22歳でシドニー五輪に出場するが予選敗退。大学に残り、23歳で挑んだ2001年世界陸上エドモントン大会で日本人選手トラック競技初のメダルとなる銅メダルを獲得。大阪ガスに就職するが、2004年にプロ選手に転向。翌2005年、世界陸上ヘルシンキ大会でも銅メダル。オリンピックも2004年アテネ、2008年北京と3大会連続で出場。「侍ハードラー」の呼び名で長らく日本陸上界をけん引し、2012年に34歳で引退。「諦める力」(プレジデント社)ほか著書多数。現在は株式会社侍で「為末大学」(tamesue.jp/)を主催。学校体育、社会体育などの場で「走ること」などを通じ、スポーツの普及・振興に務めている。ツイッターのフォロワー数が20万人を超えており、その発信力は常に注目されている。