- 7月17日のエディオンスタジアム広島。3年半を過ごした広島でのラストマッチは思い出深いものになりました。
そして翌18日、多くのサポーターやチームメートに見送られてイギリスに旅立って行きました。海外挑戦と五輪代表での活躍を約束して…
「最後も悔しい終わり方でした」
「悔しいまま、広島を去らないといけない」
「サッカーの神様がそう言っている、サッカーは簡単なものじゃないと改めて感じました」
浅野選手が試合後、そう振り返った90分、まさに自分の持ちタイムとの戦いとなったあっという間の90分…
薄暮からやがて夕闇に変わり、劣勢の展開に暗雲が漂い、時間だけが過ぎていきました…
でも今季初、2万5000人越えのスタンドの熱気はすさまじく、0-1の後半36分に同点、その2分後には自らもゴール前でボールに絡み、最後は最大のライバルであり頼もしい大先輩だった佐藤寿人が勝ち越しゴール!
ただ、残念ながら43分に追いつかれて、第2ステージまだ無敗の横浜F・マリノス相手に白星とはなりませんでした。
試合後のセレモニーではその思いをお世話になったクラブ関係者やチームメートや見に来てくれた家族を始め、すべての人に伝えました。どうしても言いたかったのは自分はまだまだ発展途上で、この先もたくさん大きな壁にぶつかっていく、でもこれまでみなさんに、すぐそばで支えていただいた感謝の気持ちを胸に必ず恩返ししていきたい、ということでした。
「広島で培ったものが活かせると思います。日々、100パーセントでやろう、ひたむきにこつこつやろうと森保監督にずっと言ってもらって、その先に結果もついてくると…。少しずつ成長、自分に期待したいし自信を持って成長したいです」
最後に目の前に広がるその紫の光景は、浅野選手の心の中にどんな映像として音声として残されたでしょうか。
挑戦し続けることの大切さと、その困難な道のりのその先にあるはずのゴールへ向けて…
スポーツでもっと幸せな広島へ。
すべての人がすべてのスポーツを応援する。自分たちの街にあるスポーツクラブを誇りに思い、選手やクラブの存在にひとりひとりがその人生や生きがいや楽しみ、喜びを重ね合わせる。
サッカーを通じて、見知らぬ人たちが仲良くなって、やがてJリーグチャンピオン、クラブW杯3位の栄冠を手にし、そしてちょっと短い間ではあったけどジャガーと呼ばれる背番号10に熱い声援を送り続けた思い出の数々。
七色の光に包まれたこの街のかけがえのない財産が、人々の心にまたひとつ忘れられない風景として擦り込まれました。そして何千、何万通りの思い出とともに、浅野選手の挑戦をこれからも見守っていくことになるのでしょう。
川風の街、七色の光は…
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