冒頭から紛糾した2015年7月の第14回サッカースタジアム検討協議会
4月6日付、中国新聞23面に松井市長のインタビュー記事が掲載された。「2期目2年目」にあったての考えを聞いたもので、サッカースタジアムについてもコメントを引き出している。
しかしその中で松井市長は、サンフレッチェ広島が問い合わせに答えていないから「進展はない」とこれまでと同じスタンスを口にしただけ。
そうだろうか?本当は「進展」があったのではないか?
短いインタビュー紹介だからかもしれないが「広島みなと公園と旧広島市民球場跡地」についての質問に対して、広島みなと公園の話がいっさい出てこない。一時期、湯崎知事とともに、あれほど「宇品、宇品」と騒いでいたことを考えると、極めて不自然。東京方面からの相次ぐ「カウンター攻撃」で、「宇品サッカースタジアム案」はすでに壊滅状態に向かっている、のではないか?
サッカースタジアム検討協議会の時もそう、今回もそう。宇品と広島みなと公園にまつわる話は、常に表向きとは違った形で進められていく。
「ない」としていたサッカースタジアム検討協議会の議事録について、のちに「あった」、あるいは協議会のペースについていけず、やっとできたという話を広島市の担当者がしたのは3月10日前後。さらにその議事録を市民らに広く知ってもらうための方策についても「どのように公表するか検討中」としていた。ところが現在でも「情報公開請求していただくことになる」という状況。広島市のホームページに掲載すれば誰でも自由に閲覧できて、真実を知る手助けになるのだが…。
ひろスポ!は見た!「サッカースタジアム検討協議会」の誰がどうやって広島みなと公園を祭り上げたのか?の4回目は…
2015年7月29日 第14回サッカースタジアム検討協議会、冒頭から紛糾、なぜエディスタを候補地に残すのか?
…を紹介する。
内容は薄いが当時、どうしても残しておいた方が良いと考え、バタバタの中でポイントのみを記しておいた。
その中で、「40万署名」の意味を野村尊敬委員が強調している。この「40万署名」については、3月28日、29日の会見で松井市長がサッカースタジアム建設問題は「40万署名」の以前からあるもので「プロセス」だと繰り返している。これもまったくもって謎の部分だ。
このほか、今回の記事の中では「エディオンスタジアム広島を候補地にしておくのはおかしい」という声に「それはもう決めたこと」と山根副会長が返答。しかし「会議5回目ぐらいまでは議事録が配布されたがそのあとはない」(小谷野委員)との声があがり、協議会の進行自体が14回目でもチンプンカンプンになっている様がうかがえる。
第14回サッカースタジアム検討協議会、冒頭から紛糾、なぜエディスタを候補地に残すのか?
野村委員が冒頭、「40万人の署名が集まってこの協議会が始まったはず。それなのにエディオンスタジアム広島を建設候補地に残して協議会を進めるのはおかしいのでは?」と指摘。
加藤義委員も「今後のことはわからない、と西飛行場跡地を候補地から落としたのだから、エディオンスタジアム広島も同じで残すのはおかしい。前回、突然(エディオンスタジアム広島の)”改修”という言葉ができてきたが我々は新しいスタジアムを作る話をしている」と強調。
これに対して三浦会長は「都市計画のない西飛行所跡地と広域公園では違う」と両者の違いを説明。
塚田委員は「エディオンスタジアム広島を残したのは私、40万署名といっても分母がわからない、50万分の40万なら8割ですが…」と発言。
なお、過去にも「エディオンスタジアム広島を候補地にしておくのはおかしい」という指摘があったが「それはもう決めたこと」(山根副会長)との理由で受け付けられなかった。しかし肝心の議事録が正式な形では存在しておらず「会議5回目ぐらいまでは議事録が配布されたがそのあとはない」(小谷野委員)という状況になっており、市民、サポーターには非常に”見えづらい”進行が繰り返されている。
今なお一般に公表されない「議事録」なしでも「もう決めたこと」と山根副会長…ひろスポ!は見た!「サッカースタジアム検討協議会」の誰がどうやって広島みなと公園を祭り上げたのか?(4)