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2020年01月30日
編集部

旧被服支廠「解体」断念に向けてキャンペーン展開を!湯崎知事の父・稔さんは爆心地周辺の復元運動を中心になって行った気鋭の社会学者だった

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旧陸軍被服支廠
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画像は原爆の爆風を受けた旧陸軍被服支廠の今の”表情”、1945年8月6日、この窓から見上げる夏空がどうなったのか、それはそこに実際に立ってみないとイメージできない…

旧陸軍被服支廠の解体問題に関して、広島県が2020年度の解体方針見送りを決めたしたことが1月25日早朝のNHKニュースで報じられた。

お役所仕事は、最初に決めたことは変えない。新球場(マツダスタジアムのこと)の貨物ヤード跡地移転は、広島市民球場跡地に「年間150万人集客の施設を作る」(当時の秋葉市長)という公約が交換条件だったのだが、秋葉市長からバトンを受けた松井市長は市民球場跡地を味も素っ気もないイベント広場として整備することをさっさと決めてしまった。

そのあとサッカースタジアムの市民球場跡地への建設を、市民やサンフレッチェ広島関係者が散々、言い続けてきたが、市民球場跡地はけっきょく単なるイベント広場となることが先ごろ発表された。ネット上では「やはりこの程度か」という諦めにも似た声が飛び交っている。

ところが、旧陸軍被服支廠解体問題は、あれだけの勢いをもって広島県の湯崎知事がぶち上げたのに、一時、作戦変更というところまで行政側は追い込まれた。

「解体反対」の立場から、ひろスポ!にレポートを送ってこられた読者の方から今回、その第2弾が届いた。以下、そのまま紹介させていただく。

ひろスタ特命取材班

 

旧被服支廠「解体」断念に向けてキャンペーン展開を!

広島県は広島市南区の旧陸軍被服支廠について、地震発生時に倒壊の危険性があることと保存する場合、耐震工事等で多額の予算を必要とすることなどを理由に所有する2棟解体、1棟外観保存の方針を打ち出しました。これを受けて県内外からパブリックコメントを募集したところ、解体反対の意見が六割を占めました。さらに当初県の提案に賛成の立場を取っていた県議会の最大会派(自民議連)が慎重論に転じたことも有り、先日来のNHK、中国新聞の報道によりますと、来年度からの着手は「見送る方向」と伝えています。

しかし、決して「解体」を断念したわけではありません。

実はこの最大級の被爆遺構はあまり知られている存在ではありませんでした。皮肉なことに県が「解体方針」を出したことで、新聞、テレビなどのメディアが大きく取り上げるところとなりました。

この建物については「旧陸軍被服支廠の保全を願う懇談会」が細々と活動を続けていましたが、残念ながら大きな広がりになっていませんでした。しかし、この「解体方針」をきっかけに被爆者団体も動き出し、現地での見学会には多くの人が集まりました。

広島選出の自民党の平口洋衆院議員は新聞の取材に応えて「100年先を見据えて保存すべき」と。また、通常国会の代表質問に立った斎藤鉄夫議員(公明党 中国ブロック)は国が1棟所有していることを踏まえ「すべてを残してこそ被爆の実相を後世に伝える訴求力がある」と述べました。

恐らくこうした諸々の動きは想定外のところもあり、パブリックコメントも求めた、手続きは踏んだ…、当初予定通り解体に向けて予算化しようとの思惑が外れたのではないでしょうか。

しかし、「先送り」です。決して方針は撤回も変更もしていません。行政は内部で積み上げ、決済を受け、議会筋からある程度の了解を得てものは中々変えるものではありません。

それだけに、まだ分かりませんが、報道の通り県が予算化を見送るとすれば、この一年方針を撤回させるために「保存運動」が広島だけでなく国内はもとより世界中に広げていく必要があります。

この遺構の存在意義はどこにあるのか?

ひとつはそのスケール感と共に被爆当時のまま存在していることです。

さらに、被爆者が年々減っていく、必然として恐らく30数年後にはほとんど存在しなくなる、そこで被爆の実相を未来永劫伝えるものは何か、斎藤議員が述べているように、それがこの最大級の被爆遺構、被服支廠です。

その被爆遺構も民間所有のものはほとんどが記念碑的に一部を切り取り保存している程度で、年々消滅しているのが現実です。

被服支廠には物語があることです。原爆投下直前までは軍服や軍靴を作る軍需工場、そこには多くの人が働いていました。しかし、その状況は被爆直後から一変、被爆者が担ぎ込まれ阿鼻叫喚の世界が現出、そのことは峠三吉の「倉庫の記録」に詳細に書かれています。そして息絶えた人たちはこの一角で荼毘に付されました。

戦後は師範学校の寮として、運送会社の倉庫として利用されました。

その後、有効利用の計画が持ち上がりながら、結局実現せずに今日に至っています。

伝統産業の復活には知られざる物語、つまりは歴史、エピソードがあります。その物語性こそ、この被爆支廠にはあるのです。軍都の象徴でもある「軍需工場」、それが一瞬にして被爆者の収容所になり、人知れず70数年の歴史を刻んできたことです。

このことは後世に伝えていかなければいけないことです。

そして、耐震補強等施せば、有効利用できるという事です。だからこそ、外観保存するという1棟も“解体”と同義語と言わざるを得ません。

原爆ドームのように柵外から見るのではなく、われわれは中に入り、被爆以前を夢想し、被爆直後の惨状を思い起こすことをしてこそ、その存在意義があるのです。

原爆ドームは爆心地にあり、その建物の持つフォルム故、世界への発信力を持っています。しかし、戦前は産業奨励館であったという事、被爆後、爆心地としての歴史はあるが、解体か保存かの対象となったこと以外、そこには物語性はありません。

これから一年、どのようなムーブメントを起すかが解体か存続かの決め手になります。

実は私の友人で地元新聞社のOBに被服支廠の話をしたところ、すぐに現地に観に行ってくれました。彼は新聞社でも原爆関係に携わったことがなく、建物そのものもよく知らなかったそうです。彼は広島駅の案内所に行き、被服支廠に行きたいのだが、と尋ねたところ、案内嬢、きょとんとしてマップを拡げても、そこには載っていなかったそうです。要領を得ぬまま、住所を言うと「このバス路線でしょう」ということだったそうです。

つまりは被服支廠は広く認知されていない「最大級の被爆遺構」がほぼ手を加えられないまま現存しているということです。

これこそ、保存に向けての可能性が大きいことを示していることではないでしょうか?

この県の案に湯崎知事がどの程度コミットし、公表にゴーサインを出したのか?巷間伝わるところでは知事の本音は「存続」だったとも…、しかし、知事のゴーなくして公にはなっていないのです。

実は知る人ぞ知る、なのですが、知事の父上は1984年に53歳で早逝された、当時広島大学教授の湯崎稔さんです。爆心地周辺の復元運動を中心になって行われた気鋭の社会学者でした。学生と一緒に爆心地周辺にどんな人が住み、どんな生活を営んでいたか、被爆によって人生がどう変わったかを調査した方でした。

知事はそのご子息です。

その知事の最近の施策に対して批判があるのも事実です。二葉山トンネルのあいまいなままに80数億円の追加予算を組んだこと。

さらに教育関係では大崎上島に作った中高一貫の叡智学園、そして叡啓大学、いずれも国際人を養成するという目的のようですが、少子化が進む中で、果たして県立の学校を新設する必要があるのか?ある進学系の中高一貫の私立の校長は「明らかに民間圧迫の施策」と声を大にして怒りの声を上げています。

知事は当選一期目、マニフェストを掲げ、県内市町で対話集会を開くなどそれなりに意気込みがありました。ただ、その当時から「言葉」程は成果が上がっていない等の批判はありました。しかし、2期目以降は選挙が事実上無風になったことも有り、目新しい政策目標もありません。

記憶している方は少ないかもしれませんが、今、広島市の中央公園で動き出している2024年開業予定のサッカースタジアム建設に関しても、湯崎知事の言動がその後のプロセスにおいて混乱を招きました。

サッカー専用スタジアムについてはビッグアーチが広島市中心部から遠く、アストラムライン駅からスタジアムまでのアプローチも結構距離があり登り坂、スタジアムが陸上競技仕様の為、スタンドとフィールドの間が離れており臨場感に欠けているなどから2012年、広島県サッカー協会が37万人分の早期建設を求める署名を添えて広島県、広島市、広島商工会議所に要望書を出しスタートしました。

細かい経緯は省きますが、2014年には旧広島市民球場と宇品のみなと公園に絞られました。それぞれ難点はありましたが、私の記憶では2015年の秋、知事が「みなと公園優位」とのコメントを出しました。

これに対して、協議の席に入っていなかったサンフレッチェの久保オーナーが「みなと公園反対」を明確に打ち出し、16年3月には旧市民球場跡地を「Hiroshima Memorial Stadium」とする構想を自ら30億円出資することを含め公表します。加えてみなと公園は最初から港湾関係者の反対論が強い場所でもありました。

こうした動きに呼応するように、経済界は意見集約すらできなくなりました。結局、当初候補地の一つであった中央公園が再浮上、2019年サンフレッチェも入った4者協議で「中央公園」とする基本方針が決まりました。

みなと公園は県有地です。ここを何とか有効利用したい県の意向が透けて見える優位説でありました。さらには2015年4月の広島市長選挙に久保オーナーがサンフレッチェの社長小谷野氏を立てました。結果は松井市長の圧勝で小谷野氏は落選しましたが、いわば協議の席に入れてもらえなかったサンフレッチェの行政へのプロテストでした。

紆余曲折の結果、「早期実現要望」から10年近く経って漸くその緒に付くことになったのです。

県・市のトップは高級官僚出身です。やはりそこには「上から目線」の行政姿勢を感じざるを得ません。そのことが街づくりの停滞を招き、そして、とどめが被服支廠の解体決定に突っ走ることだとしたら…、恐らく大きな反対運動が起きることは想像に難くありません。

旧陸軍被服支廠解体の「先送り」と「保存運動」、そこからさらに踏み込んだ解体撤回に向けた「キャンペーン」。いずれしても湯崎知事の今後の言動に注目していきたいと思います。

ひろスポ!関連記事(2019年1月14日掲載)
スタジアムも旧陸軍被服支廠も広島100年の視点が必要、「広島県はその建築的価値、被爆建物としての重要性に考えが至っていないと断ぜざるを得ない」
hirospo.com/pickup/62614.html

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