画像はW杯ロシア大会の1カット、ピッチ左側中央に森保一コーチ(当時)の姿が確認できる、ひろスポ!ロシア取材班撮影
東京五輪 サッカー男子1次リーグA組 日本1―0南アフリカ(7月22日東京スタジアム)
森保ジャパン、白星発進-
でも、あの時は青き炎が、突然終わりを告げた。
アディショナルタイムのピッチを縦に切り裂いたレッド・デビルズ。そのあと巻き起こった悪夢のような疾風によって…
そのラストシーンは、日本代表を指揮してきた西野朗監督自身が、試合直後に誰も予想できなかったと語った「スーパーカウンター」だった。そして「試合後どんなことを考えながらピッチを見つめていたんでしょうか」と聞かれ「うーん、まあ、ワールドカップの…、怖いところでしょうか」と絶望を包み隠したかのような少しの苦笑いで答え「追い詰めましたけど、やっぱり何か足りないんでしょうね、やっぱり」と続けた。
さらに「世界との差」について聞かれると、遠くを見つめるような目で「全てだと思いますけど、でもわずかだとは思います」と答えた。
今から3年前、日本時間の7月3日午前5時ごろ、現地時間の2日深夜。、ロシアのロストフ・ナ・ドヌーでの出来事だ。その場に指揮官の補佐役のひとりとして、東京で金メダルを目指す森保一監督もいた。
以後、日本サッカーの挑戦は森保一監督の手に委ねられた。2020東京、その2年後には「またカタール」という流れがその時、生まれた。
コロナ禍によって多くのものを犠牲にしながら、それでもとうとうロストフ・ナ・ドナーから続く戦いの最初の第一歩を踏み出した。
2021年7月22日、東京スタジアム午後8時キックオフ。
相手の南アフリカはまともにコロナ禍の逆風にさらされ、来日後に選手2名を含む3名の新型コロナウイルス陽性が確認された。さらに濃厚接触者21名。試合前6時間以内のPCR検査を経て、キックオフの笛が鳴った。
南アフリカ代表最年長は29歳GKウィリアムズ。徹底的に引いて守る中にあって強烈な存在感を発揮し続け、何度も日本の決定的なシュートを跳ね返した。
後半26分、久保建英の放った強烈な一撃もやはりその右指先まではボールに届いていた。紙一重の決勝ゴールで大事な勝ち点3を日本は確保できた。
試合後の中継用インタビューでさすがに久保建英は興奮を抑えきれないようだった。一方でチームのまとめ役でもある吉田麻也は「前半はちょっとチーム全体としてシャイだったと思いますけど、まあ何とか1点取れてそれを守り切ることができた」と振り返った。
吉田麻也にとってもやはりロストフ・ナ・ドヌーから続く物語の1ページ…
久保建英や吉田麻也がそうであるように、タフでなければまた「世界との差」の前に膝まづくだけだ。長い期間を経て積み重ね、それを大一番でいかに発揮するか?
ただし今回の挑戦は、コロナ感染拡大の危険と、多くの問題を抱え込み過ぎた東京五輪開催の意味や意義すら問われる事態と向き合いながら進められていく。
アレコレ考え始めるとまともに食べ物が喉を通らなくなり、同時に胃腸をやられ、さらに自律神経失調症にもなったりする…はずだが、しかし試合後の森保一監督はこれまでと何ら変わらぬ様子でインタビュー応対をこなしているように見えた。いったいどれだけタフなのか。
「できればもっとゴールを奪って楽な試合をしたかったですけど、初戦の難しさを選手たちは感じながら、なかなかゴールを割らせてくれない中、えー、選手たちが我慢強く戦ってくれたことは次に繋がるかなと思います。厳しい戦い、簡単に我々の思ったような戦いにならないってことは、きょうの初戦でも分かったと思いますので、きょうの反省を生かして次の試合に進みたいと思います」
話していることは確かにそうなのだろうが、話し方が普通過ぎる。実は普通であり続けることが一番難しい。なんせ日本サッカー史上初の金字塔を五輪に打ち立てようとしているのだから…
「試合があるか、分からない状況でどんな言葉を選手に?」と問われると、これも普通に「特に選手たちには声をかけていません。えーと、チームで常に試合があるということで準備をするということ。あんまり、試合があるとかないとか、相手のコロナ騒動で我々があのー、惑わされないように自分たちの準備をしていこうということで選手たちにはずっと話していました」とコメントした。
一方、その後の記者会見で海外の記者からの質問に答える形で「無観客」についてのセンシティブな部分にも触れた。会見に参加できた海外メディアの中にはそのやりとりを記したところもある。国内のスポーツ紙や放送メディアではなかなか紹介しきれない部分だ。
記者会見のやりとりを紹介した記事内容からは、できることならやはり観客のいる環境で試合をすることが選手にとって最も大切なことであることを改めて口にしたことに加えて、森保一監督ならではの”提言“も確認できる。
そこには、すでに無観客開催が大半となった状況下でも観客を入れることが可能な大転換機がもしあったとするならば、その収入はコロナ禍や自然災害で大変な思いをしている人たちへ還元できないか…と記されている。
サンフレッチェ広島監督時代、広島は何度も豪雨災害に見舞われた。森保一監督が広島をあとにしたあとも、古巣であるマツダ城下町の安芸郡府中町はかつてないほどの土砂災害に見舞われた。
サンフレッチェ広島の指揮官としての森保一監督は被害に遭い大切な思い出や家族を失った子供たちの自宅を訪ね、サインユニホームをプレゼントするなど市民に寄り添う姿勢を貫いてきた。
この思いは「なぜ東京五輪を開催するのか?」という基本理念にそのまま繋がる。5日前、テレビカメラに向けて涙目で「もう一度考えて…」と観客の大切さを訴えた吉田麻也の思いと重なる部分も多分にある。
自分と自分以外の誰のために、何のために戦うのか?
その理由を明確に答えることのできる集団は強固なものとなる可能性がある。
残念ながら今の東京五輪・パラリンピックを運営する側には、各々の立場もあるからその答えは「こうだ」といえる人が居ないようだ。
何かが起こるたびに右往左往して、対症療法の発表という後手後手に回る。それでも開会式はきょう7月23日午後8時から「予定通り」行うのだという。
猛烈な逆風と穴ぼこだらけのような東京五輪の舞台であっても、森保一監督らは進撃の手を緩めない。なぜか?答えは簡単。半世紀に一度の国内五輪はあのドーハに忘れ物を取りにいく、という最終目標へと繋がっているからだ。
五輪・パラが終わればお役御免の組織委員会や、この先、もう長くはないかも?という予想も立つ菅政権とはまったく次元が違う。中国のこと、習近平のことしか頭にない?バッハ会長とも根本的なスタンスが違う。
あのドーハ以降の日本代表の歴史には、日本のサッカー関係者とサポーターの思いが詰まっている。それらを全部受け止めながら、森保ジャパンはその総力を挙げてもう一度、砂漠の中の未来都市で決着をつけることになる。
ドーハ、ロストフ・ナ・ドヌー、東京、そしてまたドーハ。
五輪・パラに携わる主要関係者はこうした各競技、各種目、選手関係者ひとり、ひとりのストーリーを大切にして運営・協力し普遍的な共感を創出するはずだっただろうに…
(広島スポーツ100年取材班&田辺一球)