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2017年05月04日
編集部

札幌では市長と球団幹部が直接交渉…から探るマツダスタジアム建設の経緯…広島サッカースタジアム問題を別の視点で見てくと…

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「マツダスタジアム」とは”別モノ”…、広島にできる予定だった「エンティアム」案新球場パース(トップ画像説明)

 

巨大集客施設であるスタジアムはその都市の表情さえ一変させるインパクトを持つ。広島がアジア大会を開催した1年前、1993年4月に供用開始となった福岡ドーム(命名権の関係で今は福岡ヤフオク!ドーム)はその典型だ。

福岡市は1980年代後半より、都市高速、地下鉄、福岡空港の整備拡充、シーサイドももちやアイランドシティなどのベイエリア機能強化などのインフラ整備にまい進してきた。その起爆剤が当時の福岡ドームだった。

南に福岡ドームなら、北にも…。

2001年6月開場の札幌ドーム。こちらは2002年日韓共催ワールドカップの会場として整備された。広島が自ら開催候補地から手を下ろすかっこうになった、あの残念な日韓共催W杯…

国内開催地の招致合戦が熾烈を極める中、530億円以上の巨費が投じられ、Jリーグとプロ野球、デュアルモードのスタジアムをが完成した。

W杯開催ののち、札幌市はプロ球団の招致に本腰を入れた。「札幌移転」の可能性について各球団宛てに”招待状”が出され、その結果、日本ハムがそのリクエストに応じた。

だが、本当にそうか?

北海道日本ハムファイターズが札幌に移転したのは2004年。

この年、日本球界は「再編の嵐」に見舞われた。すでに開幕前から予兆はあった。それが6月13日の近鉄球団による「オフにオリックス球団と合併」発表となり、さらに7月7日の、巨人渡辺恒雄オーナー(当時)による「もう一組の合併話」「10球団1リーグ制」表明会見に繋がった。

日本ハムとすれば、こうした流れを読み切っての移転GO!ではなかったのか?そうでなければタイミングが良すぎる。

ちなみにこの「大騒動」のおかげで1991年以降、遅々として進まなかった広島の「新球場」構想(現マツダスタジアムの新設)も”オール広島”で結果的には変則的な決着となったが一気に現実味を帯び始めた。

 

ところで、広島市と札幌市はその当時から”呼応”する動きを見せていた。まとめてみると次のようになる。

 

1992年7月 日韓共催W杯開催候補地に札幌市立候補

1993年1月 広島市も同じく立候補、さらにJR広島駅隣接の「貨物ヤード跡地」(現マツダスタジアム所在地)に「ドーム球場構想」浮上

1993年4月 福岡ドーム供用開始

1996年1月 札幌市、野球、サッカーが開催できるドームスタジアムを正式決定

1996年12月 広島市は共催W杯の”ルール”に反し、広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)の「屋根架け」を当時の平岡敬市長が拒否したため候補地失格となる

2001年6月 札幌ドーム開場

2002年5月から6月 日韓共催W杯開催

2002年12月 広島市は広島東洋カープ、鹿島建設、電通西日本、サイモンプロパティ・グループ(米国最大の商業ディベロッパー)の共同企業体「エンティアム」と「貨物ヤード跡地」への「オープン型複合施設スタジアム」建設に合意。

2003年12月 広島市と共同企業体の合意撤回。「キャンセルは相手側の責任、裁判も辞さない」(当時の秋葉忠利市長)

2004年3月 「広島の新球場問題はどうなっているのか?カープが福岡に移転してダイエー(現ソフトバンク)と福岡ドームで一緒にやるという話が出ている」とプロ野球に精通した都内の関係者が証言。同年、日本ハムが本拠地として札幌ドーム使用開始

2004年6月 近鉄球団がオリックスとの合併発表、同年7月、巨人渡辺恒雄オーナー(当時)が「もう一組の合併話」「10球団1リーグ制」を公言。

2004年9月 都内でオーナー会議があり、パ・リーグ5球団の変則リーグへ向けこう着状態に、その10日後、プロ野球史上初の「スト決行」、9月23日「最後の労使交渉」で「新規参入」(現楽天球団の加盟)が認められ「1リーグ制」強行突破は回避へ。

2004年11月 カープ球団消滅との情報に危機感を抱いた広島財界トップらが動き、秋葉市長のもとに「新球場建設促進会議」発足。

2005年3月 新球場建設促進会議は「新球場現在地建て替え」(現旧広島市民球場跡地への新設)決定。なお、この時、広島市は密かに建設場所に関して「貨物ヤード跡地」への移行を画策、新球場建設促進会議参加者へ配布した資料の中に、唐突に「現在地建て替え案」資料に加え「現在地サッカースタジアム案」(現旧広島市民球場跡地へのサッカースタジアム新設案)、「現在地公園施設案」を添付。

2005年6月 秋葉市長が市議会、新球場建設促進会議を通さず独断で「新球場の貨物ヤード跡地への新設」を決定。この知らせに新球場建設促進会議座長を務めた多田公熙(ただ・こうき)氏は「二度とこういうことのないように」と強い口調で苦言を呈する。

…とだいたい、こういうことになる。

なお、これらの動きは「資料」などによるものではない。すべて新サッカースタジアム取材班が直接、集めた情報のみ、で構成されている。

現在、新サッカースタジアムについて多くの関係者がそれぞれの立場で動いてはいるが、この”事実”を把握している人はどれだけいるだろうか?

広島市はこの経緯を見る限り、スポーツ行政には疎い、ということにならないか?そして、たまたま「球界再編」の波にカープ球団が飲み込まれかけたがために、遅々として進まなかった「新球場構想」がイッキに前進した”だけ”の話ではないか?

よって、新サッカースタジアム構想が一向に前進しないのも頷ける。秋葉市長から松井市長にバトンは渡されたが、一向にその”スピード感”は変わらない。

先ごろ、市議会でもその”スピード感”について大いに問題視する声が上がった。この件はまた別の機会に触れる予定だ。

今回の話をまとめると、極端に言えばサンフレッチェ広島が「広島にはもういられない」という状況にでもならない限り、何年でも引き伸ばし可能?ということにならないか?(だから、「国家戦略」に組み込まれようとしているのか?)。

さて、”その”札幌では、最近大きな動きがあった。(…なので今回、こういう話になった)

新球場建設を核とするボールパーク構想推進を急ぐ日本ハムは、島田利正球団代表が札幌市の秋元克広市長と4月に会談、現本拠地の札幌ドームへの日本ハム残留を「議論する余地がない」ことが秋元市長側に伝えられた。

どこかで聴いたようなやりとりと、よく似た状況の話ではある。そして秋元市長は「市も、その前提で話を進めざるを得ない」との認識を示したという。要するに”この件”では日本ハムが主導権を握っている。

そこがサンフレッチェ広島とは大きく違うのである。

新サッカースタジアム取材班

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