2002年の日韓共催W杯開催で新設されたサッカー専用スタジアムのソウルワールドカップ競技場は現在、FCソウルの本拠地としても使用され、施設内には大型スーパー、巨大な駐車場、飲食店が入る。広島は2002年W杯の開催地から1996年12月に”脱落”していまだにサッカースタジアムを有していない。
ソウルはワールドカップで新しい「器」を作った
6年後の東京五輪開催に向け、広島が大きく後手に回ることになった。”恐れていたこと”が現実になった。
国際オリンピック委員会(IOC)は12月8日の臨時総会で、五輪開催都市が実施競技を追加できる権利が求められた。
これにより2020年の東京五輪で野球やソフトボールが復活する可能性が高くなった。五輪人気を維持するためにはIOCも方向展開せざるを得なくなった、ということだ。
11月に国内各地で開催された日米野球で侍ジャパンの一員だった広島の丸佳浩外野手は「野球が復活すれば嬉しいしそういう機会があれば選んでもらいたい」と日本で開催される2度目の夏季五輪の晴れ舞台に意欲を示した。
IOC臨時総会では開催都市以外での競技開催についても分散開催や他国で実施する共催を容認する案も認められた。これは経費削減を狙うもので、限られた都市でしか開催できないとされてきた五輪の将来を考えた場合、一都市開催にこだわることにはもはやムリ、ムダ、ムラがある、ということなのだろう。
大阪ではすでにこうしたIOCの動きを見越して吹田市にガンバ大阪の新拠点となるサッカースタジアムを建設中だ。東京五輪でサッカー競技が広域開催となった場合、大阪はその最有力候補となるだろう。と同時に1993年のJリーグスタート時の10チームでサッカースタジアムがないのは広島だけになった。
広島に新サッカースタジアム建設を目指すサッカースタジアム検討協議会で紹介された資料、資料はガンバ大阪所有
画像にある「140億のうち30億をスポーツ振興くじ(toto)の助成」、スポーツ振興くじの助成申請には「スタジアム建設の具体性」を示す必要があり「構想」だけではNG、よって広島は大阪だけでなく北九州ほか他都市に次々に追い越されいる。
スタジアム建設には自治体の協力体制が不可欠
全国にはそのほかにも2002年日韓共催W杯の”レガシー”がたくさん散在している。各都市の招致合戦は今後、にわかに活気づくだろう。
しかし、2002年W杯時に開催候補地の最有力だったにもかかわらず「ビッグアーチに屋根を架けない」という当時の広島市の平岡敬市長の”ミスジャッジ”で自ら開催地に背を向けた広島は、その後も「サッカー専用スタジアム」建設を求める市民、関係者の声を先送りにしてきた。
平岡市長からバトンを受けた秋葉忠利市長の3期12年でも、サッカースタジアムの建設話は何も進まず。さらに現在の松井一実市長の一期目4年間でも「検討」はしても具体的な動きはないまま、また来年春には市長選挙、という流れになっている。
広島市民球場の貨物ヤード跡地への新設(マツダスタジアムの建設)が決まったのは2005年夏で、その時点で「球場跡地へのサッカースタジアム建設」を決めていれば、今頃はとっくに現在の空き地のままの旧広島市民球場跡地は”日本サッカーの聖地”になっていたに違いない。
旧広島市民球場跡地と原爆ドームは市道を挟み迎い合う位置関係にある
スタジアムのデザインしだいではピッチからでも世界平和の象徴「世界遺産、原爆ドーム」が目に飛び込んでくる、世界的にみても稀有な空間、旧広島市民球場跡地とその周辺域を最大限に活用したスタジアムなら世界から次々に”利用者”が集まる可能性が高い。FIFAの国際Aマッチ招致も積極的に進められるだろう。
市民や多くのサポーターだけでなくサンフレッチェ広島も建設候補地として具体的にその名を挙げている「旧広島市民球場跡地」へのサッカースタジアム建設が、地元政財界のさまざまな思惑によって”空転”し続ける中、今回のIOCの決断は即、2002年共催W杯に続く”負け組広島”の流れを作りかねないことを意味している。
もちろん、野球の方で見ればその復活が本決まりとなれば広島には国内唯一のボールパーク、マツダスタジアムがあるのだが…
ただし、野球とサッカーでは世界的な広がりがまったく違う、広島は世界に開かれた国際スポーツ都市としての道を歩むつもりはないのだろうか?1994年広島アジア大会開催。そう「分散開催」OKなら、広島はもう五輪開催の予行演習を終えていることになる。
そして広島の戦後復興の希望の「光」となった「奇跡の器」の跡地にはやはり子供たちの未来を夢見る「希望の器」がよく似合う。
文責・新サッカースタジアム問題取材班
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