チームの野球スタイルに新風を吹き込んだマーティー・ブラウン監督
広島のエース黒田博樹の素顔」第15回
ミスター完投、黒田を取り巻く環境を大きく変えたマーティー・ブラウン監督(3)
山本浩二監督の第二次政権時代、2001年から2005年にかけて黒田は5シーズン合計で919回3分の2を投げ、実に47完投をマークした。
ちなみに現広島のエース、前田健太は昨季までの5シーズンで野村監督の下、1000回3分の2を投げて19完投をマークしている。
「ミスター完投」と言われた黒田は2005年のシーズンに次のような数字を残した。
28先発15勝12敗、防御率3・17。投球回数は212回3分の2で11完投。
最多勝利の初タイトルを取ると同時に投球回数も自己最多を記録した。28先発も同じく自己最多で、まさに平成の剛腕にふさわしい投球内容だった。
だが、裏を返せば当時の広島は黒田ひとりに頼らざるをえない状況が長らく続いていた。
2005年、黒田のあとに続いたのは「次期エース候補」と言われた大竹(現巨人)の10勝ぐらいのもの。外国人投手は不発に終わり、若手もみな伸び悩んでいた。
それを象徴したのが2005年の与四球数539個。この数字は12球団ワーストでセ・リーグ最少のヤクルトは363個、広島の次に多い横浜でも429個だった。
山本監督のあとを受けたマーティー・ブラウン監督は投手陣全体には「自信のある球をストライクゾーンに投げろ」と指示し、エースの黒田には「君を中心に中4日でローテーションを回していく」といきなり説いた。
広島のそれまで5年間のデータ分析とメジャー流の発想を融合させ、ブラウン監督は山本監督時代とは大きく変わる野球スタイルをチームに浸透させようとした。
その中心に黒田が据えられることになった。