7月、3者会談に臨んだ深山会頭は今回、吹田市の新スタジアムを見学して広島にも吹田に負けない充実したサッカースタジアムを整備することの必要性を強調…
広島商工会議所の深山英樹会頭がサンフレッチェ広島の織田秀和社長、サンフレッチェ広島後援会の加藤義明会長とともに12月16日、日本を代表するサッカー専用スタジアムとして注目されているガンバ大阪の新ホームスタジアム「市立吹田サッカースタジアム」を見学した。
11月17日にJリーグの村井満チェアマンが広島を訪ねサンフレッチェ広島が参戦する「チャンピオンシップ」その先の「世界に繋がるクラブワールドカップ」そして「アジアチャンピオンズリーグ」の意義を広島県、広島市、広島商工会議所に説いて回った際、深山会頭との対談の際に「せっかく素晴らしいスタジアムができたのだから…」ということになりこのたびの吹田スタジアム見学が決まった。
この村井チェアマンの言動には、サンフレッチェ広島という世界レベルの実力のチームがせっかく広島に存在しながら、クラブ存続の基盤をなすスタジアムが現状のままでは脆弱である、という思いが透けて見える。
なお、せっかくの村井チェアマンの広島訪問ではあったが、広島市の松井市長、広島県の湯崎知事は直接、応対していない。(スケジュールの問題はいくらでも配慮可能で、要は会う気があるか、ないかの問題)
4万人収容の陸上トラックのない専用スタジアムの建設費140億円を、寄付金と日本スポーツ振興センターからの助成金などによって賄った吹田市とガンバ大阪は、広島が目指す新スタジアム建設のまさに手本と言える存在だ。
しかもガンバサポーターや地元中心の企業を対象とした寄付金集めが始まったのは2012年。広島ではその遥か以前の2004年夏には旧広島市民球場の貨物ヤード跡地移転が決まり、当時から関係者は何度も手を変え品を変え、広島市にサッカースタジアム早期完成の必要性を訴えてきたはずだ。
さらに、同じ2012年の8月には、 話し合いなどに時間を費やすだけで一向に”光”が、見えてこない新サッカースタジアム問題で、県サッカー協会、サンフレッチェ広島、同後援会の3者が松井市長、湯崎知事、経済団体トップに「スタジアム建設要望書」を提出している。
吹田市ではすでに10月10日、新スタジアムの竣工式がとり行われた 。
対する広島市はいまだに影も形もなし。
この差はいったいどこから生じるのか?
事情はいろいろあれど、まず問題なのは「場所決め」ができない、いやしようとしてこなかったことにあるのは明らか。
広島市街地に捨てるほど!?広大な「跡地」があり、しかもサポーターも多くの市民もサンフレッチェ広島も「旧広島市民球場跡地」が新サッカースタジアム建設場所にふさわしい、と考えているにもかかわらず、だ。
7月、松井市長、湯崎知事との3者会談で新スタジアム問題について話し合った深山会頭は、今回”単独行動”で訪れた吹田スタジアムについて、およそ1時間の説明を受けたあと、選手ロッカー、VIPルーム、スタンドなど、施設の細部に渡って見て回った。
そして広島にも同じ建設するなら、素晴らしいスタジアムを造り、将来に渡って広島の新たな舞台装置として国内外から多くの人々を365日、呼べる多機能型スタジアムであること、またスタジアム建設の根幹を成す資金調達に関しては「地元財界の協力」が不可欠であることも強く感じた、という。
同行した織田社長も「コンパクトかつ機能的で素晴らしいスタジアム。サッカーを子どもも年配の方も、3世代で楽しめる臨場感…。そしてVIPルームほか、いろいろな人たちがそれぞれの楽しみ方で一日を満喫できる施設です」と納得顔。
広島の市中心部に3万人規模で吹田市と同じようなスタジアムができれば、広島の賑わいも増し、サッカーがもっと身近な存在になることは間違いない。
ただし7月の「3者会談」で建設候補地の一番手に”絞られた形”になった「広島みなと公園」は、ひろスポ!がすでにその時期から集めていた情報を考察していけば「やはり宇品は建設候補地としてハナから脱落だった」というオチになる。
おそらくそう遠くない時期に、「宇品はNG]という声が、しかるべきところから上がることだろう。
ひろスポ!では「そうなること」を7月前後から何度も報じてきたし、直接、県管轄の広島港の問題について湯崎知事にも7月の3者会議の時点で資した。
残るは旧広島市民球場跡地。
2者択一、というのが現状ゆえに、広島市は「吹田に負けない国内最高度の新スタジアムを旧市民球場跡地に至急建設する」と決するのがこれまでの流れからすれば当然の帰結。
「早期建設」の声に耳を貸してこなかったこれまでの関係者は、ガンバ大阪の新スタジアム完成を例に挙げるまでもなく、もう十分「不徳」を重ねていることになる。
新サッカースタジアム取材班