第6弾は2012年11月にひろスポ!運営母体のスポーツコミュニケーションズ・ウエストから発刊された「CARP2012-2013永久保存版」に掲載された特集「広島市民球場跡地には複合型多目的スタジアムが必要不可欠」から引用の記事を紹介する最終回(4回目)。
この特集「広島市民球場跡地には複合型多目的スタジアムが必要不可欠」の中から、これまで当時の「街の声」を代表して地元大学生、サッカー関係者、メディア関係者の声を拾ってきた。今回はそのまとめとして、広島市市議会議員、石橋竜史さんの思いと、近い将来の旧広島市民球場のあるべき姿のひとつの形を綴った特集の「終わりに」を掲載する。
Jリーグ誕生以降、長年 の懸案だったスタジアム構想
ここまで様々な立場のみなさんに市民球場跡地への複合型多目的スタジアム建設にかける思いを語っていただきました。最後に前回「永久保存版」のこのコーナーで「スタジアムと複合施設に集まる人の流れを街に広げよう」と訴え「複合型多目的スタジアム構想の実現」に情熱を燃やし続けている広島市議会の石橋竜史議員の声を紹介します。
石橋議員の話
戦後復興の観点 から、ここ半世 紀の広島を振り 返った時に、も しも広島カープ が存在していな かったら?もし も市民の人々が街の中心部に市民球場を誕生させていなかったら?現在の街は全く別のモノになっていたことでしょう。 想像しただけでもゾっとすると共に、改めて先人に対して心から感謝の念を抱いてしまいます。
鎮魂の平和を祈念するエリアの前に対峙したのは、人類の自浄作用とも言える、人々の生命力から生み出された、現世を謳歌する新たな平和の歴史でありました。 世界的にもこれほど稀有な場所と歴史は存在しないのです。
広島を忘れなければ、同じ過ちを繰り返すことはありません。 大事なことは本当にシンプルでスポーツからスポーツへと「平和のバトン」を引き継いで参りましょう!
終わりに
広島市民球場の跡地に何を創るべきか?
私たちが平和大通りや原爆ドームを受け継いできたように、未来の子供たちに何を残していくべきなのか?
「広島市民球場」「跡地」のキーワードで画像検索すれば、答えはカンタンに出てきます。懐かしい市民球場の画像などとともに様々な立場の提案者による「サッカースタジアム」プランがいくらでも出てきます。その数は他の跡地活用策を圧倒しています。
市民県民から支持される サッカースタジアム建設
2004年以降盛んになった「新球場建設」の動きから「旧広島市民球場解体」が決まるその過程で様々な関係者に「球場跡地活用策」について話を聞いてきました。「旧広島市民球場を巡る年表」(ひろスポ!の今回の連載ですでに紹介、以下参照)
…に沿って進められた膨大な取材の中で行き着いた結論、それは「跡地活用の具体案で一番多くの支持を集めていたのは間違いなくサッカースタジアムを軸とした集客機能」だったということです。
ところが実際には様々な事情によって、必ずしもこうした「市民の声」や「関係者の声」は「跡地活用策」の本流に乗ることはありませんでした。 なぜでしょう?次々と提案されてきた「サッカースタジアム」を核としたプランが浮かんでは消えていくのは、どういう力が影響しているからなのでしょう?
「広島はビッグアーチがもうあるじゃないか」という声をよく耳にします。でも広島ビッグアーチは陸上競技場として建設され、サッカーは「併用」に過ぎません。インフィールドの面積もサッカーのピッチを確保するにはギリギリ過ぎます。一方で陸上競技者の間で広島ビッグアーチは人気の競技場です。トラック機能が優れており、記録が出やすい施設として定着しています。何よりスタンドの高さにまでそびえ立つ「織田記念ポール」の存在が「ビッグアーチは陸上競技場」であることを証明しています。
「Jリーグを開催しないと維持費が出ない」という話も事実とは異なります。実際、広島ビッグアーチで年に一度開催される大型コンサートだけでJリーグ1シーズン開催分と同額以上の収入をもたらします。仮にコンサートを3度開催すれば広島広域公園の年間維持費の大半を補うことが可能です。
3万人をさばけない 広島ビッグアーチ
ただし、広島ビッグアーチでは、1992年の完成当初から問題視されてきた周辺アクセス道の整備が進んでいません。 2010年夏、ビッグアーチでEXILEのコンサートが開催されました。広島市内を走る路面電車までファンでいっぱいになるほどの状況です。当然、広島ビッグアーチ周辺道路は大混雑で近隣住民の方たちは自宅から外出もできないほどの混乱ぶりでした。
コンサート終了後には「ブロックごと」にファンが広島ビッグアーチの外に誘導されました。最後のファンが外に出るまでに4時間もかかりました。 J1優勝争いをするサンフレッチェ広島の試合でも2012年シーズン途中から試合後、広島ビッグアーチで「通行規制」が始まりました。2万5000人前後のサポーターが集まると試合後1時間半以上、まったく車が動きません。緊急車両などのことを考えれば由々しき事態です。 遠路はるばるやって来たサポーターが渋滞に巻き込まれ試合観戦を諦めるような事態も頻繁に起こっています。
旧広島市民球場では3万人を超えるファンがスタンドを埋め尽くしても30分もあれば完全に人がはけていました。それだけ「跡地」周辺はインフラが整っているのです。しかもお隣には原爆ドーム。みなさんが異口同音に話されてきた通り、世界的にも稀有な空間がそこには広島の日常として生み出されています。
球場跡地にこそ相応しい 世界に誇るスタジアム
我々は広島に生まれ、広島に育ち、小学生の頃にはバラック屋根の間を抜け、当時の「屋内プール」にも通いました。高校時代には仲間とともに広島市民球場のグラウンドを駆け回り、大人になってからは記者席からカープ優勝の瞬間も見届けました。 思えば1年の半分ぐらいは旧広島市民球場に通っていました。
それぞれの季節の中で、あるいは年を重ねるごとに感じてきた風の匂いや見上げた空の青が今も印象に残っています。そして躍動するカープナインに声援を送るファンの姿や野外コンサート、各種イベントで賑わう風景も…。
ひとりひとりが大切にしている“あの場所”にまつわる思い出を、そのまま「引き継いでくれる」新たな「広島の舞台装置」。今、その姿がはっきりと見え始めました。旧市民球場がそうであったように、50年、60年後も広島の人々と世界中から愛されるスポーツ、文化の交流の場。世界に誇るサッカースタジアムで、あなたも一緒にボールを追いかけてみませんか?(新サッカースタジアム取材班)